ちのっぷすの読書覚書

『!』と思った文章や琴線に触れた言葉のメモ集

はみだし生物学

タイトルに惹かれたけれど・・・

パッと目を引く蛍光色のタイトル可愛いイラストに、思わず手が伸びました。

この画像ではわかりにくいけれど、ラインマーカーのイエロー(「レモン色)で、とにかく目立つのです。

借りて帰って、早速読みましたが・・・

ひとことで言えば、「期待外れ」

期待外れの本《読書覚書》にアップするのも変な話だけれど、この「ハズレ」は、本のせいではなく、私の力量不足のせい、私には「難しすぎ」たのです。

でも、私と同じように、可愛いイラストにだまされ、読んでみたはいいものの、ついていけなかった人も結構いるのでは?とも思いました。(特に高校で「生物」を選択していない人の中には←そもそも生物に興味のない人は手に取ることもないかな?)

「博士」「キノコ助手」の会話(それもかなり砕けた)で説明が進んでいくので、マンガのようにさらさらっと「読む」ことはできるのですが、意味はちっともわかりません。もちろん内容が頭に入ってこないからです。

たとえば、以下の会話を読んで、バッチリわかる人がどれくらいいるでしょう?

キノコ助手 モータータンパク質ですって、なんじゃらほい?

博   士 たとえば、キネシンスーパーファミリーとよばれるタンパク質が有名じゃの。これらは、自信がもつATP分解酵素(ATPase)活性を利用し、分子内に取り込んだATPを加水分解する。キネシンは二量体を形成しており、ATP加水分解と、ADPからATPへの転換によって、交互に足を上げて歩くように微小管上を進むのじゃ

ATPがアデノシン三リン酸であることは、習いましたが(でも単に名称を知っているだけ)、キネシンは初耳だし、二量体「なんじゃらほい?」

アデノシン三リン酸がアデノシン二リン酸に「転換」したからといって、どうして微小管(これも名称を知っているだけ)上を「進める」のか?

以上、ぜ~んぜん、ま~ったく、わかりません。

著者は『はみだし生物学』製作委員会となっており、2010年度大学入試センター試験の問題作成委員で構成されているそうなので、やはり、この本は、最低でもセンター試験で生物を選択する学生と同程度の知識は必要だったのでしょう。

(私もかつて「共通一次試験」「生物」選択したのですが・・・)

内容的には「はみだし」というだけあって、教科書では扱われない事柄や、新発見など、興味深い項目が盛沢山で、「生物」が得意な人にはおススメできる本です。

ですが・・・

だったら、こんな可愛らしい装丁砕けた会話調の本文にする必要があったのですかねぇ?

どんな「読者」を想定していたのでしょう?

脳は耳で感動する

テンポのよい対談集

養老先生の新刊本!と喜んで借りて帰って、一気に読了。うん、面白かった!

ただ、新刊とはいえ、2009年刊の『耳で考える―脳は音楽を欲する』(角川書店)が底本になっているそうなので、最終章以外は、「(社会現象が)古いな」と感じるところもありましたが。

読み始めてすぐに「!」と思った箇所があったので、引用しますね。(p18~p19)

久石 (前略)映画というのは1秒間に24コマの映像が流れます。映画音楽というのは、そのコマレベルまで合わせていく作業になるわけです。ところが、厳密に映像に合わせて音楽をつけると、間違いなく音楽の方が早く感じるんですよ。ぴったり合わせると、映像より先に音が聞こえてくるという現象が起きる。(中略)

 普通に考えたら、映像は光ですから、音速より速いですよね。それなのに音の方が早く感じられる。これがどういうメカニズムなのか不思議に思ってきたんです。

養老  それは意識の研究者が指摘してます。視覚と聴覚は処理時間がズレる。何の問題かというと、おそらくシナプスの数です。

 意識がどういう形で発生するのか分かりませんけど、自分がこういうことを見ているというのと、聞こえてくるのと、脳の神経細胞が伝達して意識が発生するまでの時間が、視覚系と聴覚系とでは違う。だからズレているわけです。

これはもう本当に「!」でした。久石氏が言うように光の方が音よりずっと速いのですから、音が遅れて聞こえるはずじゃないの?と。

これまで特に意識して観たことはなかったけれど、音と映像をピッタリ合わせるためには、24分の何秒レベルでの調整が必要だったのですね、それにも驚きました。

第一章からこんな感じですから、この先も引用したい箇所が盛沢山でしたが、一気に第七章まで飛ぶことにしますね。

この第七章(最終章)だけが、最近のお二人の対談になります。(ちなみに2009年時の養老先生と現在の久石氏がほぼ同年齢なのだとか)

第七章の見出しは『「もののあはれ」とAI』

まずはp203~p204より

久石  実は、Chat GPTで作曲しないかというふうにお誘いがありましてね。最初に聞いた時は、ふざけるんじゃないと思ったんです。(中略)

 でも、意識を今から未来に向けるとどうなるかと考えたわけです。例えば自分が取り組んでいる曲作りの場合、「一曲の中のAというパートのメロディを変化させなければならない」というとき、(中略)それをAIに考えさせる。あらゆる可能性をAIでシュミレーションさせるわけですよね、その中で自分が「これだ」と思うパターンを抽出して、(中略)

 つまり、僕はこれまでAIを使用するとき、現時点から過去を勉強させることばかり考えていたわけです。でも、未来に向かって使っていけば、無駄な労力を使う必要がなくなる。それによって、世界で初めての”AIシンフォニー”を作れるのではないか、なんてことを思ったわけですよ。(後略)

これに対し、養老先生は「面白いですね」とは応じているものの、話は別の方向にむかったようです。Chat GPTに対して否定的な考えをお持ちだからかもしれません。

話題はAIからAGI(汎用人工知能)にまで及びます。(p232~233)

養老  知能にこだわり過ぎですよね。そういう能力が有効になるように外部世界を構築して来たからでしょう。要するに、ビルを作ったのと同じなわけですよ。

久石氏の「なるほどね」というあいづちの後、養老先生の説が続きます。

養老  地球上には八十億もの人が生きているわけでしょ。その天然の知能をどうしてもっと大切にしないんだと言いたいですよ。AIが作る世界というのは、詰まるところ人間を大切にしない社会だと思います。

あちこちからの引用なので、脈絡がない書き方になってしまいました。

「脳は耳で感動する」というタイトルに着地させたかったのですが・・・。

言葉を持った天才ザルカンジ

30年前にタイムスリップ

今回もまたまた、きっかけは朝日新聞の天声人語。(令和7年4月16日付)

メインブログ《ちのっぷすの徒然五行歌》今日の五行歌798~過去作品 - ちのっぷすの徒然五行歌 に先にアップしたので、この本と出合ったきっかけなどは省いて、《読書覚書》らしく、引用や感想を綴っていきたいと思います。

まずは河合雅雄先生の「序にかえて」から一部抜粋します。

 一九九〇年、名古屋で国際霊長類学会が開催された。多くの発表の中で、スー・サべージ‐ランボーの発表は最も大きな注目をあび、会場は立ち見の人であふれた。(中略)彼女はカンジについては、論文をほとんど発表していない。ところが日本の読者のために本を書き下してくれたのだから、望外の喜びである。

この本は「書き下ろし」、それも日本の読者のため、だったのですね。

 それには理由がある。野生のボノボの研究は加納隆至さんらがザイールの研究地を開拓し、すばらしい業績を上げてきたことと、研究方法にある。日本の研究者は時に擬人的と言われるほどに、サルに密着して研究を進めてきた。スーさんの研究態度やボノボの心を、日本人だったら素直にうけとってくれるだろうという気持ちが、このすてきな本を誕生させたのだろう。

そういう経緯があったのですね。あらためて出合えたことに感謝!です。

 最近の霊長類研究で、これほど強いインパクトを受けたものはない。感激に浸りながら一挙に読んでしまった。(中略)私だけでなく、読者は誰でも、吸い込まれるような魅力と楽しい気分に誘われ、しかも人間とは何かについての想いをめぐらせることだろう。

この本を読んだ当時(30年ほど前)の気持ちはもう忘れてしまいましたが、ワクワクしながら一気に読了したであろうことは、間違いないと思います。

監修の古市剛史先生による、口絵の下に添えられた文章には以下のように記されていました。

ピグミーチンパンジーは私たちが普通に動物園で見かける普通のチンパンジーとは違い、アフリカのごく限られた密林で生き続け、数十年前に発見されて「最後の類人猿」と称されました。現在ではボノボと呼ばれることが多くなっています。

アフリカのごく限られた密林とはザイール共和国の密林のことをさし、ボノボはこの地域にしか生息していないそうです。

類人猿とは、ヒトに最も近い霊長類で、腕が長く、尾を持たないのが特徴。ゴリラ、チンパンジー、ボノボ、オランウータン、それからテナガザル類も該当します。

サベージ‐ランボー博士による「日本の読者へ」には以下のようにありました。

 この本の主人公カンジは、母親であるマタタと何人かの人間によって育てられるという特異な幼年時代を送りました。サルとヒトという二つの世界に住むことになった彼は、人間たちが話すのを聞いて育ち、人間の子どもと同じように言葉を覚えてしまいました。明瞭に発音することができないためボードに印刷された単語を指さしながら話をするのですが、その言語理解力は二歳半の子どもと同等です。

この本を読んだ当時は、それこそ二歳半前後の娘たちを育てていた頃だったはずなのですが、マタタのような寛容な母親ではなかったなぁと悔やまれます。(サルであろうとヒトであろうと共通の、子育てのツボもあちこちに書かれてあったのに!)

逸れましたが、この序に続く第一章から十四章まで、カンジ(スワヒリ語で「埋もれた宝」の意)との出会いから以後4500日に及ぶ膨大で、興味深いエピソードが満載です。

再読してショックを受けたのは

 一般にザイールでは、野生のボノボが捕らえられると、母親は食用にされ、赤ん坊はペットとして売られる。

という一文でした。

さすがに現在は許されなくなっているはずですが、当時はそういうことがまかり通っていたのですね。

「ボノボが実際にチンパンジーとどの程度異なるのか、個別の種として扱う必要があるのかどうかを決しよう」と、ヤーキーズ霊長類研究所に連れて来られた三頭のボノボたち、そのうちの一頭がカンジの母親マタタでした。(実はマタタは「生母」ではない)

このヤーキーズ霊長類研究所に著者は赴任します。

 私がやってきた目的は、ボノボの社会行動学を学び、オクラホマで研究していたチンパンジーとの違いを知ることにあった。ボノボたちは、もはや原野を離れているので、彼らの社会のつくり方や、どういう行動形態によってザイールの森の中で生存し、繁殖してきたのかを知るすべはなくなったともいえる。とはいっても、私たち人間がどのような状況に置かれても、結局は笑ったり話をしたり泣いたり喧嘩したり愛したりするように、ボノボも新しい環境の中で「ボノボらしさ」を発揮するだろうと予想するのは理にかなっていた。

ボノボ「類人猿の個別の種」として認められたのは1929年のことだそうですが、1975年当時であってさえ、チンパンジーと混同され、その「亜種」として片付けられていたのだそうです。

加納隆至博士野生のボノボ研究についても触れ、「いくつか非常に興味深いことが分かってきた」と記されています。

ここからの数ページは本当に「非常に興味深い」(私がボノボを好きになった理由)のですが、全文引用するわけにはいかないので、一部のみ引用。

 社会行動や集団の構成という点から見て、ボノボはほかの現存するどの類人猿よりも人間に近いことは明らかだった。ボノボの気持ちや気質、ためらいがちだが、好奇心旺盛な性質などは、ほかの類人猿には見られない。

さらに個人的な感想として、熱い想いが綴られています。

 ボノボを見ていると時どき、私は自分の遠い過去を見つめているのではないか、私の前にいるのは「半人間」(quasi-persons)ではないかという気持ちにおそわれた。ボノボは人間ではないが「人間に近い存在だ。(中略)当時ボノボを観察していたときも、そして今でもボノボを見ていると、私たち人間が心をもちはじめたとき、人間が将来の展望とか感情をもちはじめた夜明けに、自分が立ち会っているかのような気持ちになる。

チンパンジーやゴリラなど他の類人猿もその知性や洞察力、複雑な社会関係などは知られていますが、著者は

 こうした類人猿たちの社会交渉を見ていても、ボノボを前にした時のような感情には決して襲われない。ボノボと一緒にいると、私はまるで崖っぷちに立って、人間である自分自身のはるか遠い過去を覗き込んでいるかのような気持ちになる。こうした印象を裏付ける決定的な科学的根拠はどこにもないのだと自分に言い聞かせるのだが、この印象を払い落とすこともぬぐい去ることもできない。

と、いわばボノボを特別視しています。チンパンジーの研究にも携わっていた著者にしてそう言わしめる「何か」が、ボノボにはあるのでしょう。

実際にボノボに「会って」みたくなりました。

 現在理解されているところでは、ボノボとふつうのチンパンジーは、今から二〇〇万~三〇〇万年前に別べつの進化をたどることになった。私たちの祖先が彼らと共通の系統から分かれてからしばらくのちのことだ。(中略)ふつうのチンパンジーよりもボノボのほうが人間に近いことを示す証拠は、現在のところ何一つない。にもかかわらず、ボノボは人間と同じように、他者の感情を理解するという情緒的な能力を持っている。この能力は、ほとんど人間だけがもつとされていたものだ。

「ふつうのチンパンジー」とわざわざことわっているあたりが、30数年前の著書だなと思わされますが、ここで言われている「現在」から、研究に進展はあったのでしょうか?

「ボノボ研究」で検索したら以下のサイトがヒットしました。

www.wrc.kyoto-u.ac.jp

この中では、熊本サンクチュアリにいるボノボは「4にん」と紹介されていますが(2013年のことなので)、2024年5月時点は「6にん」(チンパンジーは「48にん」)となっています。

熊本サンクチュアリの、ボノボチンパンジーの紹介はこちら。

サンクチュアリの住人-京都大学野生動物研究センター熊本サンクチュアリ

本書に戻りますね。

ヤーキーズ霊長類研究所の言語研究センターには「チャイルドサイド」という知的障害のある子どもたちが日中過ごす場所があります。

もちろんボノボやチンパンジーたちが子どもたちと触れ合うことは許されていない(感染症のおそれがあるため)のですが、カンジは子どもたちが、キーボードを使って言葉を教えられている様子を見るのが大好きだったといいます。

 カンジは子どもたちを眺めている間はいつも本当に静かだった。その顔にはほかの時にはめったに見せない熱心さと集中した表情が見られる。こうした障害のある子どもたちに対してカンジが見せる静かで遠慮がちな態度は、ふつうのチンパンジーとはまったく異なっていた。シャーマンとオースティンは子どもたちを見ると、ぎょっとしたり不安そうにしたりすることが多い。とくに車椅子の子どもにはおそれをなして、自分たちの檻に向かって車椅子が近づいてきたりすると逆上していまう。(中略)しかし、カンジはあくまで静かな関心を示すだけだった。

ここでも、明らかにチンパンジーとは違うボノボの魅力が淡々と語られています。

最終章最後のページはp222、研究を通じて言いたかったことの全てがここに集約されているように思います。

 カンジは、私たちがどのようにして人間になったのかを教えてはくれないかもしれない。だが彼は、人間と類人猿の共通の祖先がもっていたにちがいない能力の一部について、非常にたくさんのことを教えてくれる。実際、人間と類人猿とが似たような行動的特徴を示す場合には、共通の祖先が同じようにふるまっていた可能性が大きい。カンジの言語能力は、この共通の祖先がきわめて聡明で熟練した生き物だったこと、自分をとりまく環境や自分と同種の仲間から熱心に学んだ生き物だったことを、私たちに教えてくれるのである。

最後に古市剛史先生の「監修を終えて」より

「カンジと付き合っていると、彼が人なのかサルなのか、わからなくなってしまうときがある」といつかスーが言っていた。この本を読み終えた人は今、どんな思いを抱いているだろうか。

30年前の私は「どんな思い」を抱いたのか・・・

30年後の今、カンジに会うことは叶わなくても、熊本サンクチュアリのボノボたちには会おうと思えば会えるのだ、と期待に胸が膨らんでいます。

ゆたかさへの旅~日曜日・午後二時の思索

40数年前にタイムスリップ

今回もまた、きっかけは朝日新聞。(令和7年4月9日版)

朝刊一面の鷲田清一氏選による『折々のことば』に目が吸い寄せられたのです。

休日はふえるだろう。が、休息はふえないのである。

この言葉知ってる!と思うと同時に、その横に森本哲郎とあるのに気付きました。

だからか!40数年前、貪り読んでいた森本氏の「ことばへの旅」から始まる「~への旅」シリーズの一冊「ゆたかさへの旅」からの引用だったのです。

人間の代わりに労働してくれる装置が考案されても、人はついに休息を手にしえないと、半世紀以上前に、元記者の文筆家が嘆いていた。

ここまで読んだ時「半世紀以上前?」と疑念が。

私が森本氏の本を読み漁っていたのは20歳前後の頃。とすると、40数年前のはず。

でも、新聞社がそういうミスを犯すはずはないし、と、手元の文庫本(しばらく前、実家から持ち帰っていた)の奥付を確認したところ、疑問は氷解。

文庫本の初版は昭和52年で、私が手にしたのは第6版、昭和56年の本だったのです。

(元になった単行本は、さらに早い時期の出版ですよね)

長くなりましたが、だから「半世紀以上前」で何の問題もなかったわけです。

(40数年も50年もそう変わりはないけれど、この辺りに拘るクセは治りません)

もう少し引用させて頂きますね。

装置のおかげで行動範囲が拡張し、未知の欲望や課題に心を波打たせてしまうからだ。

この一文には唸らされました。さすがに『折々のことば』の選者、鷲田さんです。

ですが、半世紀後の今だからこそ「行動範囲が拡張し、未知の欲望や・・・」という表現ができたのでしょう。

半世紀前にはスマホはもちろんインターネットもまだ存在していなかったのです。

行動範囲がこれほどまでに「拡張」し、まさしく「未知の欲望」に翻弄されるようになる、これほどまでの大きな変化は、森本氏にも想像できなかったと思います。

(それにしても「心を波打たせる」って「心を鷲掴み」にするようなピッタリの表現ですね、ここでも「さすが鷲田さん!」)

さて、ここで本家本元の森本哲郎氏「ゆたかさへの旅」(角川文庫)p188から引用しますね。

 考えてみると、日本の社会のなかで、なにものにもとらわれぬ心をもつということは、まことに至難なことのように思われる。すべての情報が欲望を増幅させるように仕組まれ、正見を曇らすようにばらまかれているからだ。そうした情報環境で、いったいだれが正見をもちえようか。情報化社会と称される現代社会に生きる人間は、ある実存主義者の口調をまねていうなら、まさしく〈情報に=とらわれて=ある〉存在なのである。

現代からすると「古き佳き時代」とまでは言えないにしても、今よりはずっとおおらかでノンビリしていた(個人的にはあの時代のままで「成長」が止まっていればよかったのに、といつも思う)1970年代にあってさえ、情報の波に翻弄されることを危惧しておられたのだから、あらためて鋭い方だったんだなと思います。

ご存命だったら、今の世の中を、どんなふうに写生されていたでしょうか。

(余談ですが、実弟の森本毅郎さんは、現在もご活躍されています。お若い頃は「あまり似てない兄弟だな」と思っていましたが、最近のお写真はお兄様に似てこられたように思います。)

メインブログの《徒然五行歌》ちのっぷすの徒然五行歌の方に、書くつもりでいたのですが、あと10年は新しいものを取り入れて(新しい本を読んで)、その後の10年は古いものを咀嚼し直そう(古い本を読み直そう)、残りの10年で集大成としてアウトプットできたらな、なぁんて、目論んでいました。(悠長なこと言ってないで、インプットしたら時を置かずにアウトプットした方がいいんでしょうけどねぇ~)

でも、こうやって「新しいものを取り入れるのと並行して、古いものを咀嚼し直す」のもいいかもしれません。

一生のうち、あと何冊本が読めるだろう? あと何冊再読できるだろう?

本を読むには、人生はあまりにも短すぎる・・・なぁんちゃって。(古いっ!完全に40数年前にタイムスリップしてる!)

番外編~天声人語

朝日新聞『天声人語』より

当日アップできなかったのですが、どうしても書いておきたいので・・・

令和7年3月23日付け朝日新聞一面天声人語より

チンパンジーがいた。名前はアイ、アキラ、マリ。性格も、才能も、かなり異なる”3人”だった。京都大学霊長類研究所の不正経理問題で、懲戒解雇された元特別教授、松沢哲郎氏が著書『チンパンジーの心』に書いている。

書き出しを読んだ瞬間に、あ、松沢先生の本のことだ、と気付きました。

不正経理問題のことはよくわかりませんが、チンパンジー研究の第一人者であった松沢哲郎教授が『懲戒解雇』されたくらいですから、不正があったのは事実なのだろうと思います。

ですが、松沢氏の「チンパンジーの研究を通して人間とは何か」を探るというアプローチに、ワクワク以上の期待を持っていた私は、この事件によって、氏が研究の道を断たれたのが残念でなりません。(松沢氏の現在については全く知らないので、京大を離れても独自に研究されているのかもしれませんが。←そうでありますように!)

松沢氏の著書を取り上げた過去ブログを貼り付けておきます。

興味がある方は、読んでみてくださいね。

dokusyozanmai22.hateblo.jp

うわぁ、なんともう5年も前の記事でした!(ちっとも進歩してないワタシ)

超ひも理論とは何か

難しそうな書名ですが

Newton press の本。

書名だけだと、専門的な書籍のように思えるけれど、

本当に感動するサイエンス超入門!

となっており、さらに朱色のオビには

この世界の根源は「ひも」だったー

宇宙誕生の謎にせまる

とあります。初心者向け超入門編であることは分かりますが、ページを開いたところ軽い驚きが。

このテの書籍にしては、文字が大きく、文字数、行数とも少なくて、とても読みやすいのです。

同じ判型の他書籍と比べると文字数は【36:43】、行数は【15:18】、ページ当たりの文字数にして【540:774】、ざっと読むだけなら1時間もあれば十分でした。

老眼が進みつつある目にはとてもやさしい書物で、かつ内容的にも読みやすかったです。(「やさしく」書いてあっても、きちんと理解しようと思うと「やさしく」はありませんでしたが)

この本で「超ひも理論とは何か」、わかるわけではありませんが、「超入門!」とあるように、「入門の入門」、とっかかりには最適、中高生や私のようなシニアには超おススメです。

叶うことならこの本を中学生時に読み、さらにシニアになってから読み返せたらもっと面白いだろうと思えますが、物理学の進展を考えると、それはありえないですね。

私が『超ひも理論』のことを知ったのは、何十年も前、伊万里図書館に通っていた頃でしたが、「知った」といっても「理論名」を知ったというだけで、その点では小学生の頃に耳にした『相対性理論』と大して変わりはありません。(父が光速について語ってくれたことをよく覚えています。父自身も不思議に思ったからでしょう。)

本文中の数式は読めましたが、これも「読めた」というだけで、その数式が本当に意味するところが分かったわけではありません。

それでも、いろんな意味で「凄いなぁ」ということだけはしっかり頭に残ります。

いろんな意味、そう「この宇宙がこの形で存在する(ように見える)」こともですが、チンパンジーやボノボとDNAレベルでは僅か数パーセント(ゴリラとチンパンジーの差より小さい)しか違わないヒトが、宇宙の謎についてここまで迫ることができる凄さ。

以下、本文中よりいくつか引用させていただきます。まずp3 はじめにより

 「この世界は、いったい何でできているのだろうか?」(中略)

 現代物理学が到達した一つの仮説は、あらゆるものは「ひも」が集まってできている、というものです。にわかには信じがたいかもしれませんが、これこそが物理学の最先端理論である「超ひも理論」です。

第1章p15~16より

 超ひも理論では、素粒子の正体をひもだと考えます。(中略)

 また素粒子はたくさんの種類がありますが、ひもの種類は1種類だけだと考えられています。超ひも理論のひもはものすごいスピードで振動しているため、振動のしかたや巻き方などによって、1種類のひもがちがう種類の素粒子に見えると考えられているのです。

ちなみに、現在17種類の素粒子が知られていますが、これは今後増える可能性があるそうです。(とはいえ、新しい素粒子がいくつ発見されても、元は1種類のひも、ということなんですよね?!)

ところで、このひも、「太さがなく(太さゼロ)、断面は大きさのない『点』」なのだそうです。普通の感覚ではちょっと理解不能ですが、ただし長さはあって、10のマイナス35メートルなのだとか。(どうしてそんなことがわかるのかわからない)

この大きさがどれくらいかというと

 1個の原子を、私たちが住む天の川銀河の大きさに拡大してみましょう。 すると中にある原子核は、太陽系の果てくらいの大きさになります。(中略)さて、この時ひもはどれくらいの大きさになると思いますか?(中略)

 実は、これほどのスケールに拡大したとしても、ひもは単細胞生物のゾウリムシくらいのサイズにしかなりません。つまり、原子とひもを比べることは、天の川銀河とゾウリムシを比べることと同じようなものです。ですから、どのような技術をもってしても、ひもを見ることは決して不可能です。

吃驚仰天!どころの話じゃないですよね。よく「原子はスカスカで・・・」と原子核とその周りの電子を太陽系に擬えて説明してある図を見かけますが、そんなスケールをはるかに超えているのですね。

もう少し引用を続けます。少し飛んで、p92より

 宇宙は今から138億年前に誕生しました。誕生直後の宇宙は超高音・長高密度で、そのときは力はまだ四つにわかれていませんでした。宇宙誕生から10のマイナス43秒後にまず重力が分岐しました。次に10のマイナス42秒後に強い力が分岐します。そして最後に10のマイナス12秒後に電磁気力と弱い力が分かれました。四つの力を統一した理論は、四つの力が分かれる前の誕生直後の宇宙のようすを知る上でも欠かせないのです。現在の実験観測では、最後の電磁気力と弱い力の枝分かれの部分が確かめられています。

どうやったら、そんなことが「実験観測」できたのでしょうね~~~

「四つの力の統一」が物理学者の夢なのだと、伊万里図書館通いしていた頃から知ってはいましたが、その為のネックが「重力」だったということは改めて知りました。

重力は一番身近で「大きい」力のように感じますが、他の3つの力に比べて(いや、比べるべくもなく)桁違いに「小さい」そうです。大きく感じるのは、私たちや身の回りのものが地球に比べてはるかに小さいからだそう。なるほど~~、ですよね。

なぜ、重力だけがこうも極端に「小さい」のか、物理学者が直面している問題のひとつだそうですが、それを解決しそうな仮説も生まれているようです。

「超ひも理論」の研究から「9次元空間」「無数の宇宙の存在(多元宇宙)」が予言されているとも。

「多元宇宙」については、宜しければ過去ブログもご参照ください。<m(__)m>

最後に、はじめにp4の言葉で締めくくります。

  超ひも理論は未完成ですが、完成すれば、この宇宙で起きるありとあらゆる現象をたった一つの数式で説明できる「万物の理論」になり得ると考えられており、盛んに研究が行われているのです。

私が生きている間にその理論の完成を見ることができるでしょうか?

もう一歩のところまで迫っている感じはしますが、その一歩がこれまでの道のりと同じくらい長いのかもしれません。

また、「万物の理論」がわかったとして、ヒトは、人間は、どうするのだろう、どうなるのだろう?

「精神的革命」(「精神」と言う言葉は使いたくありませんが)とでも言うべきものが起こる可能性もありますし、逆に何も変わらないかもしれません。

 

 

ときめくニッポン職人図鑑③

最終回

まずは前回も少しご紹介した南部鉄器職人田山貴紘さん(岩手県)2011年の東日本大震災をきっかけに30歳の時にお父様(伝統工芸士田山和康さん)に弟子入りされたそうです。

南部鉄器8種類もの砂や粘土などを混ぜた「鋳物砂」で鋳型を作ることから始まり、この鋳型が完成するまでには2週間以上を要すのに、そこから作られる鉄器は僅か5個ほどなのだとか。

p11に田山さんの大好きな一品として「あかいりんご」(りんごの形をした鉄瓶)が載っていました。まるで写真と見まがうばかりの精緻なイラストで、思わず欲しくなってしまったほど。

田山鐵瓶工房さんのウェブサイトはこちらです。

お次も前回お名前と言葉を紹介した東京額縁職人栗原大地さん。

「東京額縁」と称されるのは、東京の伝統工芸品の一つだから。(知らなかった!)東京には42品目の伝統工芸品があり、その多くが「江戸〇〇」とか「東京〇〇」と言う名称です。

額縁は100均の物から、栗原さんのような職人さんの手作りによる物までピンキリでしょう。

栗原さんの額縁について紹介している動画を見つけましたので、貼り付けますね。 知ってるつもりの額縁について、知らないことが一杯


www.youtube.com

「古美(ふるび)」と言う言葉も初めて知りました。

元々は「金物が古くなり深みが出てきたものに使われる言葉」ですが、p39によると

額縁の表面を、時間が経ったように、古めかしく仕上げること。

だそう。栗原さんがお勤めの富士製額のウェブサイト、および栗原さんのインスタグラムは以下です。

www.fujiseigaku.com

https://www.instagram.com/d1_frame/

三人目は 雛人形職人望月琢矢さん。p71のプロフィールによると

1991年、静岡県生まれ。東京の大学に在学中に留学。海外ひとり旅をする。上場企業で働いた後、1923年に創業した家業の『株式会社左京』4代目に。静岡発の世界ブランドを目指す。

とあります。

雛人形は「分業」で作るそうですが、望月さんは、胴体専門の「衣装着雛人形職人」さん。

腕を曲げる角度とひじの位置で、美しさが決まる。

そうで、p73には

(前略)望月さんは最新の流行を読み、うでの角度やひじの位置などをマイナーチェンジ。古くから親しまれる雛人形を時代に合わせて進化させています。

とありました。

また、望月さんの大好きな一品として「青色の雛人形」も紹介されていました。

望月さんは「百聞は一見にしかず」という考えを大切にしています。すべて青色の雛人形を見てみたいと、着物の生地から作った一品も、ここから生まれました。はじめはお父さんから「売れない」と言われましたが、作ったら欲しいというお客様がたくさん。考えがしっかりしていれば届くのだと自信になりました。

望月さんはインスタグラムのほか、YouTube配信でも雛人形について熱く語っておられます。

https://www.instagram.com/sakyou.taku/

www.youtube.com

まだまだご紹介したい職人さんがいるのですけれど、タグが10個までしか付けられないので、3人のみとなってしまいました。

本書は子ども向けですが、これを機に伝統工芸についてもっと詳しく調べようと思います。最後にもう一度、本書を貼り付けておきますね。