続「究める」シリーズ
シリーズ本の第3巻。
2巻はまだ読んでいないので、なんともいえないですが、少なくとも1巻と3巻は併せ読みすることで、より一層考えが深まると思います。(アマゾンに絶賛のレビューを投稿しています)
賢人たちのお話が素晴らしいのは勿論ですが、インタビュアーや執筆者・編集者の熱意にも並々ならぬものを感じました。
私自身「こんな本に40年前(時代的に絶対無理ですが)出合えていたらなぁ」と思いましたが、編集に携わった人たちも同じような気持ちだったのじゃないかしら?
このシリーズが、あなたなりの熱中と出合い、そして未来へつながっていく、ひとつのきっかけになりますように。
というシリーズ通しての序文に、編集に携わった人たちの想いが感じ取れます。
「!」がいっぱいある表紙もユニーク。始まりは「?」や「!」ですもんね!
生物学・福岡伸一先生のページの章見出しもまた冴えています。
「お変わりありませんね」はお変わりありまくり
ジグソーパズルのピースはこっそり交換されている
~毎日「私」を捨てて、新しい「私」になる
これだけで福岡先生の《動的平衡》がイメージできますもん。
それにしても、「生命」を構成するパーツのすべて、約2万2千個の遺伝子のすべてがわかっても「生命とは何か?」の答えはわからないのですね。 p15より
遺伝子そのものは試験管の中で再現できるのに、その遺伝子をいくら混ぜても生命は誕生しない—じゃあ、結局生命って何なのだろう?
続く自然人類学・篠田謙一先生のDNA解析の話も面白かったです。
何万回に1回か2回起こるというDNAの複製エラー(突然変異)、これがあったからこそ今まさに人類はここに生きているのですよね。 p63より
人間というのはDNAが間違った末に存在している生き物であり、間違うことは生命の本質なのです。
もちろん人間だけでなく、現存の生物の全てはDNAの複製エラーの産物でしょう。
でもそのことを《知って》いるのは人間だけなんですね~~Σ(・ω・ノ)ノ!
3人目は前回もちらっとご紹介した現代哲学の柴田正良先生。
先生の研究テーマはなんと《ロボットの『心』》―ロボットは人間と同じような心を持つことができるかどうかーなのだそうです。
哲学の先生とロボット、突飛な組み合わせに見えますが、私としては「これぞまさしく哲学だ」と心躍りました。(心が何なのか、サッパリわかっていませんが)
「ロボットに心が持てるか?」という問いは「人間の心とは何か?」という問いと表裏一体であり、非常に哲学的なテーマ設定なのです。
うん、うん、うんと大きく頷きながら、文字打ってます。 p77より
私たちは自分たちの心がどんなものであるかは、よく知っているのです。ただ、その背後にあるはずの、心を発生させている物質や現象については具体的にはわからない。心というものが発生して機能するとき、そこで何が起こっているのか、体という物質的なものとどう関係しているのか、という問いを突き詰めたいー。そう思った私は、機械的なロボットに心を持たせるとはどういうことか、という問いを明らかにすることが糸口になると考えたのでした。
この本を読む少し前、徒然五行歌の方にドラえもんのことを書いたのでした。
なんだか不思議な縁だなぁ~~。
ブレイクスルー、例えは適切じゃないけれど、電話がスマホになったくらいの劇的変化があれば、今はまだよちよち歩き(ハイハイしたばかりの方が適切か)のロボットも《自立/自律》できるかも?!