ちのっぷすの読書覚書

『!』と思った文章や琴線に触れた言葉のメモ集

誤作動する脳

レビー小体型認知症

自らレビー小体型認知症であることを公表し、執筆や講演活動を行っている樋口直美さんの著作。

誤作動する脳 (シリーズ ケアをひらく)

誤作動する脳 (シリーズ ケアをひらく)

  • 作者:樋口 直美
  • 発売日: 2020/03/02
  • メディア: 単行本

数年前に出版された「私の脳で起こったこと~レビー小体型認知症からの復活」も読んだことがありますが、幻視のエピソードが強烈で、それ以外のことをあまり覚えておらず、今回武雄の新刊コーナーで見つけたこともあり、借りて帰って一気に読了。

以前の本は「レビー小体型認知症からの復活」という副題がまずかったのか、医療関係者と思われる数名から「著者はレビー小体のはずがない!」と糾弾するかのようなアマゾンレビューが見られました。

たとえレビー小体型でなかったとしても、なんらかの脳の不具合を抱えておられることは確かで、その不調をおして、自分の言葉で語り、綴り、出版された方に対してあまりに残酷だとこちらまで悲しくなったほどです。

が、今回は今のところ、レビュー者全員が5つ星をつけています。(私も同感)

例えを用いた独特な表現は説得力があり、文章もうまいと思います。プロの物書きと比べてもそれほど遜色ないのでは?(きっと読書家でもあるのでしょうね。)

 人間の時間は、記憶と切り離すことができません。それは、無数の糸が繊細に複雑につながり合い、どこまでも広がる網のようです。伸びたり、縮んだり、うねったり、ねじれたりしながら、新しいいくつもの結びつきが生まれ、生き物のように変化し続けているように見えます。

 私の手にしている時間は、私が誕生してから死ぬまでの限られた短い期間です。でもそれは数えきれない他者の時間と複雑に結びついていて、私の時間が終了しても、この網は途切れることなく広がり続けていくのだと感じます。

少し前の徒然五行歌に、伸び縮みする繋がる糸➡の歌をアップしましたが、なんとなく言わんとすることは同じのような・・・

 それは奇妙な感覚でした。美しい色も構図もそのまま見えていて、素晴らしい作品だと思うのに、感動はしない。脳の視覚野から感動につながる回線がパチンと鋏できられてしまったような、自分がアンドロイドであるような感じがしました。

「感動しない」自分を発見した時のことを冷静に受け止めるもう一人の自分

誤作動する脳というタイトルは秀逸。ズバリ!だと思います。

色も音も匂いも味も触った感じもー五感の全ては脳によって再構築されているに違いないのですから、そのどこかで誤作動があれば、リアルな幻視や幻臭に繋がるのも道理ですよね。

 

著者のような記憶障害や認知機能の低下まではいかないですが、

私自身も一時期、記憶力の衰えに青ざめたことがありました。本文p136の巨大駐車場は鬼門』、私も全く同じ経験があります。ショッピングモールの屋内にとめたつもりが屋外。車のナンバーも思い出せなくて、車種と色で見つけてもらったんだっけ。(著者よりもっとヒドイですね)発券機の券を失くしたことも何度かあります。

他にも、人の名前を思い出せないのはしょっちゅうだし、買い忘れ、置き忘れ、自販機のお釣りを取り忘れたこともあったっけ。さらには、クレジットカードやプリペイドカードをなくしたことも・・・あげればキリがありません。(書いていてあらためてゾ~~ッ

一時期、と書いたけれど、今も似たようなことは続いているのでしょうけれど、慣れて動揺しなくなっただけかもしれません。(ん?かなりヤバイ?)

それはともかく、なにもかもいっしょくたに「認知症だから・・・」の一言で片づけてしまう風潮はどうかと思います。

 認知症、精神疾患、さらに高次脳機能障害、発達障害・・・と縦に切り分けられたとき、その枠の中からは、つながりが見えません。でも、脳の病気や障害に共通する困りごと、生きにくさ、理解されにくさは、横に太く貫いていることにそのとき気付きました。

私は21世紀の今も《精神疾患》という言葉があること自体、変だと思っています。精神という捉えどころのないものではなく、脳の疾患でしょう。脳の誤作動です。

著者の以下の文章にも大きく頷きました。

患者自身が読むことを想像すらしない専門家によって書かれた解説は、患者にとって凶器となります。希望も救いもない病気の解説が、そのまま患者自身のなかで確定してしまうからです。

当事者でなければ、書けない鋭い指摘です。

記憶力や注意力に欠陥があっても、思考力は充分に保たれている方も多いのですから、病名が告知されたら、ネットや書籍で調べるでしょう。

私だってきっとそうします。

著者樋口直美さんとは同い年です。そのせいもあるのか、2冊の本を読んだだけで、お会いしたこともないのに、とても親近感を覚えてしまい、いつもの覚書より熱くなってしまいました。