ちのっぷすの読書覚書

『!』と思った文章や琴線に触れた言葉のメモ集

多元宇宙論集中講義

3ヶ月ぶり!!

読書をしていないわけではなく、下書きにも2つ入れっぱなしでしたが、もうその続きを書く気は失せ(そもそも内容を忘れた)別の本の感想にします。

これも下書きに入れてそのままボツ、なんてことになりませんように。

難解そうなタイトルですが、かなり砕けた語り口調の本だったので、内容の深い理解は置いとくとして、スラスラ、サラサラ読みすすめることができました。

同じ著者の本を、オーディブルで聴き流したことがあったこともあり、それもスラスラ読めた要因のひとつだったのでしょう。

以下は新書版ですが、この本のオーディブル版を2倍速再生で聴き、「面白かった」記憶はあります。

《多元宇宙論集中講義》に戻りますね。 オビの

別の宇宙には《もう一人の自分》が無数に存在する!?

だけを読むと、なんだかトンデモ本っぽいですが、内容は至極真面目な現代宇宙論の入門編です。(数式もありませんから、入門編というより多元宇宙紹介本と言った方がいいかも)

ですが、著者の語り口があまりにも砕けすぎていて、「若い人なんだろうな」と思いつつ、プロフィールを見てみると・・・

確かに私よりは若いけれど・・・ひとまわりしか違わない、つまり世間的に見れば「若い」とは言えず、おじさん(失礼!)でした。

《集中講義》とありますから、大学生への講義口調っぽい文体にしているのかもしれません。

YouTubeも見つけたので、貼り付けますね。


www.youtube.com

ちょっとだけ引っかかったのは、まえがきの締めくくりの文章。

なお、宇宙という一見難しそうな話を、いわゆる文系の皆さんにも楽しく、そして気軽に読んでいただく、というのもこの本のテーマの一つなので、理解を阻むようなややこしい話はできるだけ端折り、なるべくわかりやすくすることを心がけました。

文系の人間には、理系の難しい話はわかるはずがないと決めつけられたような気がして、あまりいい気分ではありませんでした。(”いわゆる”とつけたあたりは「一般的には文系の人は物理や数学が苦手な人が多く、どちらも得意な文系の人ももちろんいる」と言う含みはあるのでしょうけれど)

「はいはい、それはどうもお気遣いありがとうございます。」と変に卑屈になってしまったのは、文系人間の僻みでしょうか。

とはいえ、読み進むにつれて、そんなことは気にならなくなった程、「面白かった」です。(陳腐ですが「面白かった」としか言えないのです。)

同じくまえがきより(引用文中の「彼」とはスティーブン・ワインバーグのこと)

彼は、当時誰も解くことができなかった”宇宙があまりにも我々にとってよくできすぎている”という謎が、「我々の知っている宇宙以外にも色々な種類の宇宙が存在する」と仮定することで解き明かせると主張したのです。

難しい理論はまったくわかりませんが、このワインバーグの主張はストンと腑に落ちました。

とはいえ、当時(1987年)はかなり非常識な主張で、科学界からは殆ど相手にされなかったそうですから、20代だった私は、まだ彼の名前を知らなかったかもしれません。

彼の名を知ったのがいつだったか、覚えていませんが、伊万里図書館を利用していた頃(20年以上前)だったんじゃないかなと思います。

借りた本は「宇宙創成 はじめの三分間」だったような気がします。

量子力学や不確定性原理という言葉を知ったのは、もう少し早い時期だったと思うけれど、もちろん、その基礎の基礎すらわかってはおりません。

ただ、「電子は粒であり波、確率的にしか存在しない」というワケのわからなさが、なぜだが妙に納得できた、というか、「宇宙の謎を解くカギは量子力学」だと漠然とそう感じたのです。

本文に戻りますね。第2講 よくできすぎた宇宙の謎 p81からの引用です。

 宇宙の加速的膨張が発見されたことによって、このワインバーグの予言は正しかったことが証明されました。

 それでやっと「いろんな種類の宇宙があって、その中でたまたま真空のエネルギーがものすごく小さいのが『我々の宇宙』なのだ。だから真空のエネルギーが驚くほど小さいこと自体にそもそもメカニズムなどはない」という彼のマルチバース論も「なくはないな」って話になったわけです。

宇宙が沢山あるのだと仮定したら、銀河系や太陽系、地球、生命、さらには人間が生まれるにピッタリの条件がたまたま揃った宇宙も存在しうる・・・というか事実存在したから、今こうしてここに、こんなことを考える我々人間が在るということなのでしょう。

もう少し「まとめ」を引用しますね。p82 ~p83にかけて、超くだけた表現です。

 つまり、そのような宇宙にのみ、存在し得る人間という生命体が自分たちのいる宇宙を観測するから真空のエネルギーの密度の値が「めちゃくちゃちっちぇーなー」ってことになるわけで、一見なんでそんなに小さいのか不思議に思うけれども、真空のエネルギー密度(の絶対値)が今よりちょっとでも大きかったとしたら、加速膨張がどんどん進んですべてを吹き飛ばしてしまう(もしくは急激に収縮して宇宙自体をつぶしてしまう)ので、そうしたことを不思議がるような人間も生まれようがなかった、というだけの話なんです。

な~るほどね~~って感じですよね。

ほかにも、超弦理論(これも名前は知っているけれど、内容は全然わからない)から導き出されるという「9+1次元」(「9個のうちの6個の次元は小さすぎて見えないんです」説)やアラン・グースインフレーション理論など、まったくもってワケ分かりませんが、それでも知的好奇心が満たされる至福感は極上です。

第4講 無数に生まれる泡宇宙たち p128~p129より

 具体的に言うと、(中略)小数点以下に0が30個とかついた最後に1がつく「秒」の間に、これまた(中略)小数点以下に0が14個とかついた最後に1がつく「m」の原子核と同じくらいの領域が、一気に「我々の宇宙」の観測可能なサイズまで広がる位のクレージーレベルの広がり方なんですよ。

など、想像を絶する時空感覚です。そしてそれを計算できるのが私と同じ人間であることも驚異!

さらに、p156

 第4講でも話したように、「我々の宇宙」のすべての構造の起源は、その誕生から0.00000000000000000000000001秒後くらいまでに起こった(スローロール)インフレーション中の「量子力学的な効果」のいわば副産物であった「揺らぎ」にあります。

 逆に言えば、そのときに「量子力学的な効果」が効いていたからこそ、今の我々があるのです。

ふぅ~~、もう完全にお手上げですが、それでもあらゆる意味で「驚異的」であることはわかります。

長くなりましたが、最後にあとがきからも引用させてもらいますね。

 ただ、最後に一つ言っておきたいのは「広大な宇宙に比べたら、ちっぽけな自分の悩みなんて全部吹っ飛ぶ」というようなミラクルはあまり期待しない方がいいでしょう。(中略)

 僕も、僕の周りにいる宇宙論を取り扱っているサイエンティストの多くも、皆さんと同じような日々の悩みを抱えながら生きているように見えます。

 マルチバースのような大きな話は、人間がいかにちっぽけな存在であるかを我々に自覚させてくれます。でも、私たちは皆そのちっぽけな世界で必死に生きているのです。

これはもう、ほんとにそうだよな~~。こんな凄い理論物理学者たちだって、「私」とおんなじなんだ~~。「人間ってカワイイ」と、自分も含めて人間全体が愛おしくなってきました。