ちのっぷすの読書覚書

『!』と思った文章や琴線に触れた言葉のメモ集

佐藤勝彦の世界

同姓同名

宇宙物理学者佐藤勝彦先生のことは存じ上げており、その著作も数冊は読ませて頂いていましたが、今回は画家(画だけでなく、書も陶芸も)の故佐藤勝彦先生の方を取り上げさせて頂きました。

佐藤先生のことを知った経緯についてはメインブログ《ちのっぷすの徒然五行歌》に詳しく記していますが、ここでもざっと触れておきますね。

龍国寺のイベント(「草木染天」という型染の曼陀羅展)を見に行った際、お堂の中に飾ってあった書画に心惹かれ、ご住職に「どなたの作品ですか?」とお聞きしたのが発端です。

作者名を教えて頂いただけでなく、佐藤勝彦の世界』という函入りの書画集を見せて頂いたのです。

1981年というと、くら~~い(?)青春時代を過ごしていた頃でした。

その当時よく通っていた長崎浜町の本屋《好文堂》にも並んでいたと思うのですが、おそらくその頃に「出会って」いたとしても、感銘は受けなかったと思います。

こうして今、「出会うべき時に出会った」のでしょう。

ホンネをいえば、できればもう少し早く(当時の佐藤先生と同じ40代の頃に←それも前半ですから今の私より20歳も若い頃!!)出会っていたかったなぁ~とちょっぴり残念ではありますが・・・。

龍国寺からの帰宅後、すぐにネットで検索し、アマゾンにて中古本を購入。

函の裏もまた素晴らしい画でした。

佐藤先生のプロフィールについてはこの本の巻頭ページから引用させて頂きます。

昭和十五年三月七日、満州大連市に生まれる。昭和二十二年、荷物船で引き上げ、母の郷里岡山県上房郡で少年時代を過ごす。鳥取大学学芸部に学び、昭和三十八年より奈良県帝塚山学園小学部教諭を勤め現在に至る。

昭和四十三年、東京で中川一政展を見て大きな刺激を受け、奈良に戻るや猛烈に描き出す。以来、全国各地で年間二十数回の個展を開き、書・画・陶芸・木彫などの作品を次々と発表し続けている。

とあります。

小学校の先生をしながら、年間二十数回の個展!

随分とエネルギッシュな方なんだなと思わずにはいられませんが、そうなった背景というものがあるのでしょう。

戦時中から戦後まで、満州で幼年時代を過ごされており、おそらく命からがらの引揚げを体験しておられます。

同じく佐藤氏の著作「ありゃせん ありゃあせん」という自伝を読んだ友人が「のっけからロシア兵の残虐行為が淡々と書いてあって・・・」と伝えてくれましたが、「三ツ子の魂百まで」と言われる幼年期の壮絶な体験は、「原体験」というにはあまりにも強烈。

ロシア兵に限らず、日本兵やほかの国の兵士たちの中にも、同じような状況下で同じような非道を犯した人間はいるでしょう。古今東西を問わず。

それが人間の本性かと悲しくならないでもないですが、佐藤先生が

真ん中に鬼、左右に仏様を配した構図の画の下に添えた書には

自分の中に邪鬼も居る 仏もいる

とありました。

人間に鬼と仏の二面性があるというのは、これもまた古今東西(西欧では悪魔と神でしょうが)言われていることですが、佐藤先生は身を持っての実体験からも、常にそうはっきりと認識されていたのでしょう。

鬼と仏が対比して描かれているのではなく、鬼は一人(一匹?)で、その鬼に寄り添うように仏様が両脇にお二人いらっしゃる独特の構図です。

勝手な解釈ですが、「自分の中の鬼を消滅させることはできないが、上手に飼いならすことはできるんだよ。」という希望が見えるような気がします。

佐藤先生は、結核に罹られた時、同じ病室の友人たちが次々と亡くなっていく中、奇跡的に快復されたという経験もお持ちです。

だからこそ、

生きているということはゆるされているということ 愛されているということ えらばれているということ (画集『不二讃讃』p16より)

という、魂の叫びのような書画が生まれたのでしょう。

『不二讃讃』についてはまた改めてご紹介することにして、冒頭の引用文に戻ります。

「東京で中川一政の個展を見て、大きな刺激を受け、奈良に帰るや猛烈に描き出す」とあります。

元々美術教師なので、絵は描いておられたでしょうが、本当に大きな大きな刺激を受けられたのでしょうね。

私にとっても中川一政は、惹かれてやまない画家のお一人です。

知ったのは偶然で、頂き物のカレンダーの絵を見たのが始まりでした。

画集を注文し、画だけでなく、書もそして随筆にも「!」と感銘を受け、このブログの初回に取り上げさせてもらっています。(過去ブログ貼り付けますね)

dokusyozanmai22.hateblo.jp

本当に、色々な偶然(必然?)が重なって、今の私が在る、今の私として生きている。

感謝という言葉は面映ゆいけれど『感謝』その一言に尽きるのかもしれません。

ところで、冒頭に宇宙物理学者の佐藤勝彦先生と同姓同名と書きました。

学者の佐藤先生インフレーション理論の提唱者で、終戦直後の昭和45年のお生まれです。(画家の佐藤先生より30歳お若く、偶然にも夫と同じ誕生日!)

両先生に直接の交流はなかったと思いますが、学者の佐藤先生の著作を画家の佐藤先生が読まれたことはあったのでは、とは思います。(あるいは逆に、画家の佐藤先生の個展に学者の佐藤先生が足を運ばれたことがあったかも)

少なくとも新聞等で、インフレーション理論のことは知っておられたでしょう。

奇しくも、佐藤先生アラン・グースに先駆け、インフレーション理論を提唱されたのは1981年『佐藤勝彦の世界』あすか書房より刊行されのたと同年です。

両佐藤先生の考える宇宙は、案外近しいものであったかもしれません。