ちのっぷすの読書覚書

『!』と思った文章や琴線に触れた言葉のメモ集

ときめくニッポン職人図鑑③

最終回

まずは前回も少しご紹介した南部鉄器職人田山貴紘さん(岩手県)2011年の東日本大震災をきっかけに30歳の時にお父様(伝統工芸士田山和康さん)に弟子入りされたそうです。

南部鉄器8種類もの砂や粘土などを混ぜた「鋳物砂」で鋳型を作ることから始まり、この鋳型が完成するまでには2週間以上を要すのに、そこから作られる鉄器は僅か5個ほどなのだとか。

p11に田山さんの大好きな一品として「あかいりんご」(りんごの形をした鉄瓶)が載っていました。まるで写真と見まがうばかりの精緻なイラストで、思わず欲しくなってしまったほど。

田山鐵瓶工房さんのウェブサイトはこちらです。

お次も前回お名前と言葉を紹介した東京額縁職人栗原大地さん。

「東京額縁」と称されるのは、東京の伝統工芸品の一つだから。(知らなかった!)東京には42品目の伝統工芸品があり、その多くが「江戸〇〇」とか「東京〇〇」と言う名称です。

額縁は100均の物から、栗原さんのような職人さんの手作りによる物までピンキリでしょう。

栗原さんの額縁について紹介している動画を見つけましたので、貼り付けますね。 知ってるつもりの額縁について、知らないことが一杯


www.youtube.com

「古美(ふるび)」と言う言葉も初めて知りました。

元々は「金物が古くなり深みが出てきたものに使われる言葉」ですが、p39によると

額縁の表面を、時間が経ったように、古めかしく仕上げること。

だそう。栗原さんがお勤めの富士製額のウェブサイト、および栗原さんのインスタグラムは以下です。

www.fujiseigaku.com

https://www.instagram.com/d1_frame/

三人目は 雛人形職人望月琢矢さん。p71のプロフィールによると

1991年、静岡県生まれ。東京の大学に在学中に留学。海外ひとり旅をする。上場企業で働いた後、1923年に創業した家業の『株式会社左京』4代目に。静岡発の世界ブランドを目指す。

とあります。

雛人形は「分業」で作るそうですが、望月さんは、胴体専門の「衣装着雛人形職人」さん。

腕を曲げる角度とひじの位置で、美しさが決まる。

そうで、p73には

(前略)望月さんは最新の流行を読み、うでの角度やひじの位置などをマイナーチェンジ。古くから親しまれる雛人形を時代に合わせて進化させています。

とありました。

また、望月さんの大好きな一品として「青色の雛人形」も紹介されていました。

望月さんは「百聞は一見にしかず」という考えを大切にしています。すべて青色の雛人形を見てみたいと、着物の生地から作った一品も、ここから生まれました。はじめはお父さんから「売れない」と言われましたが、作ったら欲しいというお客様がたくさん。考えがしっかりしていれば届くのだと自信になりました。

望月さんはインスタグラムのほか、YouTube配信でも雛人形について熱く語っておられます。

https://www.instagram.com/sakyou.taku/

www.youtube.com

まだまだご紹介したい職人さんがいるのですけれど、タグが10個までしか付けられないので、3人のみとなってしまいました。

本書は子ども向けですが、これを機に伝統工芸についてもっと詳しく調べようと思います。最後にもう一度、本書を貼り付けておきますね。

 

ときめくニッポン職人図鑑②

異色の女性職人さんたち

今回は、女性ばかりになってしまうのですが、皆さん、珍しい経歴の持ち主。

元々好奇心とチャレンジ精神が旺盛な方たちだからこそ「職人の道」に進まれたのかもしれませんね。

鬼瓦職人(鬼師)伊達由尋さん(愛知県)は、

アイドルとして活動していたが、「天才鬼師」と言われた高祖父の作品を見て、本格的に鬼師を目指す。2017年、23歳の若さで鬼師の試験に合格。

のだそう。伊達屋さんのウェブサイトはこちらです。

dateyakawara.jp

ここで、白状しちゃいますと・・・

上記サイトのオンラインショップで、お地蔵様を見つけ、1100円とお手頃価格だったこともあり、即クリックしてしまいました。

お地蔵様といえば、伊勢根付職人梶浦明日香さん(三重県)のサイトでも見かけたのですが、こちらは「販売済み」。とはいえ、もしまだ販売可だったとしても、私にはとても買えなかったと思います。

梶浦さんも異色の経歴の持ち主で、元NHK名古屋放送局のニュースキャスター。

ニュースキャスターのころ、取材を通して伝統工芸の魅力と危機を知り、2010年に伊勢根付職人の中川忠峰さんに弟子入り。若手職人グループ『凛九』のリーダー

とあります。ウェブサイトはこちらです。

link-kougei.com

異色といえば、同じく三重県の食品サンプル職人安藤恭子さんも。

おいしいものへの想いが人一倍強く「食べられないけど、食べ物として作る」ことがモットー。本物そっくりな製品づくりのため、料理教室にも通い、おかし教室の先生になるほどのうで前にもなりました。

とあります。

驚いたのは、「本物の食材から型を取る」というところ。「いちばんおいしい瞬間を表現することが大事」だからだそうです。目からウロコでした。

伝統工芸の枠組みからは外れるにせよ、食品サンプルの歴史も結構古く、大正時代に生まれたそうです。

子どもの頃、デパートの食堂で美味しそうな食品サンプル見ながら「どれ食べようかな~」ってワクワクしていたことを思い出しました。

一気に九州鹿児島に飛びます。

薩摩切子職人中根櫻亀さん。(亀は旧字体です、ごめんなさい)

本書の中では一番年上(私と同い年!)で、それだけで親近感を覚えましたが、そのご経歴は、半端じゃありません。途絶えていた薩摩切子を、師匠もいない中『復活』させた凄い方です。

中根さんはWekipediaにも載っておられますので、そちらもご参照ください。

中根櫻亀 - Wikipedia

お次も鹿児島薩摩ボタン職人・室田志保さん

この方も「まぼろし」となっていた薩摩ボタンを復活させた女性。

薩摩ボタンについては、本書からそのまま引用させてもらいますね。

小さなものだとコインほどの陶器に、美しい絵を描く薩摩ボタン。描く線は0.1mmの世界で、ものスゴい集中力が必要です。この細かな絵付けは、最後の「焼き」が仕上がりを決めます。ポイントは窯の温度。(中略)何度もテストした結果、どの色も理想通りになる750度と言う温度を発見。描いた絵が、さらに美しくかがやくようになりました。

ここでいう陶器とは「白薩摩」のことで、暖かい色合いと美しいヒビが特徴の白い焼き物のこと。また細かい絵付けに使う筆は、京都の職人さんが、一本一本手作りしたものだそう。

う~~ん、まだまだご紹介したい職人さんがいっぱい・・・

その③に続けることにして、今回はこれにて、お・し・ま・い 。<m(__)m>

 

ときめくニッポン職人図鑑その①

子ども向けと侮るなかれ!

2015年に動画メディア『ニッポン手仕事図鑑』を立ち上げられた大牧圭吾さんが作った本です。

表紙も含め、写真は使われておらず、どのページもイラストで紹介されています。

職人さん達の丁寧な仕事ぶりに、緻密で丁寧なイラストで応えた形でしょうか?

「多くの子どもたちに知って欲しい!」という大牧さんの意気込みが伝わってくるようです。

大牧さんの「はじめに」は全文掲載したいほど気持ちがこもっています。一部だけ引用させていただきますね。

(前略)わたしはこれまでに数えきれないほどの職人さんと出会いましたが、どの職人さんもすてきで、会うたびに心がときめきました。なぜなら、(中略)今に満足せず「もっとよいものをつくりたい!」とちょう戦し続けているその前向きな姿に胸が高鳴るのです。(中略)個性豊かな職人さんが仕上げる工芸品には、ひとつとして同じものがありません。同じデザイン、同じ形でも、それぞれが少しずつちがいます。だからこそ「これがいい!」と心がときめく一品を選ぶ楽しみがあります。

(中略)みなさんにもこの本で、そんな職人さんたちと出会うドキドキワクワクを感じてもらえるとうれしいです。

 それではさっそく、31人の職人さんに会いに行きましょう!

はい、ドキドキワクワク💖しながら、会いに行ってきましたよ。

職人技の知られざる世界を垣間見させてもらい、そのお人柄にも触れ、ホントに心が「ときめき」ました。

取り上げられているのは全国各地、31名の職人さんたち。その多くは30~40代の若い方たちで、しっかりと伝統の技を受け継ぎつつ、常に研究も怠りません。

「職人」という語感からは昔気質の頑固親父をイメージしますが、意外にも若い女性も多かったです。(SNS時代を反映しているからかもしれませんが)

表紙、裏表紙の裏(表2、表3)にも、職人さんたちの言葉が紹介されていて、これがまるで五行歌のよう。

おそらく「子どもたちへのひとこと」として、語ってくださった言葉だと思います。

まずは表2(表紙の裏も表紙と呼ぶのですね)から、いくつか引用しますね。

人が生み出す

無限の

モノの可能性。

未来のあなたが

生み出すモノは?!         筒描藍染職人 長田匡央さん

これなど、もうほんとに五行歌としてそのまま《南の風》誌に掲載させていただきたいくらい。

筒描藍染という手法も初めて知りました。お名前は「ながたまさお」さん。

ものづくりから、

自然や科学や人間、

伝統から歴史や文化を

学び楽しめるのが

伝統工芸です            南部鉄器職人 田山貴紘さん

これも含蓄のある言葉ですよね。本当にその通りだと思います。そういう世界に身を置いて、一心不乱に仕事に取り組めるってなんて素敵な生き方だろうと羨ましく思います。

歴史ある仕事が

生活に根づき

続いてほしい。

そして、その願いが

伝わればうれしいです        琉球びんがた職人 知念冬馬さん

大牧さんのこの本を通して、知念さんの願いも十分に伝わると思います。

表3より

額縁をつくることは、

まるで魔法を

かけるよう!

額縁を見つけたら

注目してください!         東京額縁職人 栗原大地さん

仕事への誇りが感じられますよね。額縁によって絵の雰囲気がガラリと変わることはよくありますし、額縁によって、まるで魔法のようにより一層引き立つことも。

好きなことを

続けてゆくと

自分にしか

できないことが

できる人になります         上田紬職人 小岩井カリナさん

私が出会った何人かのハンドメイド作家さんも同じようなことを仰っていました。

こういう世界の住人になれたら、どんなに素晴らしいだろう・・・私は憧れるだけで一生を終わりそうですが(そもそも「好きなこと」が何なのか、未だにわかっていないので)それでも、こうして本やメディアを通して「繋がる」ことができるだけでも幸せです!

1回ではご紹介しきれないので、次回にまわしますね。

日本のことでも、まだまだまだまだ知らないことがいっぱいあります。

でも、「知らないことがいっぱいある」って、「これから出会えるチャンスがある」ってこと。

ドキドキ・ワクワクを、コト切れる瞬間まで持ち続けていたいものです。

 

読書覚書呟き編

相変わらずの・・・

そう、相変わらずの更新頻度です。

メインブログの《徒然五行歌》は2日に1回程度アップしていますが、サブブログの《海外ドラマ雑記帳》とこちらの《読書覚書》は、相変わらずのスローペース

過去ブログを読み直していたら、誤字脱字を見つけ(見つけたからには気になるので)修正、更新しようと思います。

1月1日佐藤勝彦氏の書画本をアップして「一日一日を大事に生きよう」と決心したにもかかわらず、三日坊主どころか1日で潰えて、ダラダラダラダラ・・・

こんなしょーもない私の、しょーもないブログに、読者登録までしてくださったfwssさん、本当にありがとうございます。<m(__)m>

明日アップ予定です。(有言実行なるか!)

 

 

人類の祖先に会いに行く~15人のヒトが伝える進化の物語

一足先でよかった

今朝の新聞に(2025年1月6日付け朝日新聞朝刊1面天声人語)、昨年(と言っても2週間ちょっと前)武雄図書館で借りてきたこの本のことが載っていました。

もし、もう数日早く掲載されていたら、きっと『予約』が入って、『延長不可』だったでしょう。(新聞の書評欄やコラムに取り上げられた本は「読みたい」と思う人がいるでしょうから)

早めに延長手続きしておいてよかったです。

表紙の男性は、通称エッツィ(アイスマン)の復元図とありました。

アイスマンには聞き覚えがあります。

その発見のニュースは新聞で知りました。

たしか、アルプス山中で登山家によって偶然発見されたミイラで、発見時は何十年か前に遭難した男性だと思われていたが、実は何千年も前に亡くなっていたことが判明し、人類の進化について貴重な手がかりが得られるのではないか、と期待が寄せられているといった内容だったと思います。

アイスマンについてはWikipediaに詳細が載っていたので、興味のある方は参照ください。ただし、情報がやや古く、この本の著者の見解とは違う項目もありました。

ja.wikipedia.org

本書を開くと、アウストラロピテクス・アファレンシスから始まって数ページにわたってホモ属の復元図が掲載されています。

「今はこんなにも正確に復元できる技術があるの?」と驚きましたが、さすがに正確には無理なようで、アーティストの想像力も加味されていると明かされています。

化石になった骨と、そこから抽出されるDNAは、私たちにたくさんの物語を伝えてくれる。さらに、いまではこれらの祖先の姿を、すばらしい3D画像で再現することに注力するアーティストがいる。法医学の技術をもとにしながら、アーティストはみずからの想像力と、研究者の知識を統合する。本書ではおもに、アドリーとアルフォンスのケニス兄弟と、エリザベート・デイネの作品を引用している。

DNAの解析技術の進歩には、目を見張るものがあり、なんでも解明できるように思っていましたが、残念ながら、10万年以上前のものは解析できないのだそう。

第1章は330万年前のルーシー、第14章は5200年前のエッツィ(アイスマン)そして最後の第15章で取り上げているのは、200年前のホモ・サピエンスの一人、チャールズ・ダーウィン。(彼の肖像もまた口絵の最後を飾っています。)

著者はダーウィンのことを「生まれるのが一世紀早かった人」としており、

一世紀早く生まれた者は、自らが属す時代に疎外感を覚え、生まれる時代を間違えた代償を支払われれる。

という言葉で第15章を始めています。ダーウィンの手紙から以下を引用したのち

勿論、誰であれ、単一の奇跡によって人間が出現したと信じることはできます。ただし、私はそれが必然であったとは思わないし、蓋然性も感じません。

ヴィクトリア朝の社会背景を考えると「『種の起源』は危険極まりない「異端」の思想」だったということも述べています。

私の著書が刊行されたら、あらゆる方面から非難が飛んでくるでしょう。それどころか、処刑されるかもしれません。

というダーウィンの言葉の後には

さすがに処刑はされなかったが、非難には事欠かなかった。そして、それは今日まで続いている。

と続け、アメリカ大統領や、教皇の発言を取り上げています。

さらに「人種」にも話が及び、「遺伝学の結論」として

複数の人間集団のあいだに認められる差異とは「濃淡」に過ぎず、自分でも定義できない対象に名前をつける権利は私たちにはない。ダーウィンのこの言葉に、付け加えるべきことはほとんどない。ダーウィンは、DNAとはなにかということも知らないままに、遺伝学がこの問題を解決するより一世紀も早く、事の真相を見抜いていた。

としています。

結びの章で、著者グイド・バルブイアーニは、はっきりと

遺伝学が、人間は「品種がない種」であることを証明した。そもそも、どのような人種がいくつ存在するのか、二世紀におよぶ研究の蓄積があっても含意にいたらなかったという事実が、人種という概念の有効性に疑問を投げかけていたのである。(第15章で見たとおり、ダーウィンは1871年の時点で、その疑問を表明していた)。

と述べたうえで、

だが、これもすでに書いたことだが、政治的ないしは社会的な議論においても、カフェでのお喋りでも、そして、最近になって加わった例としてはウェブ上でも、人種の概念は相変わらず大手を振っている。

と怒りにも似た感情を表明しています。(私も同感です!)

まとまりのない文章になってしまいましたが、「今日中に」アップしたいので、このへんで・・・

 

不二讃々~あすか書房

新年に相応しく

3ヶ月ぶりのアップです。

この間、このブログを元に編集し直した《ちのっぷすの読書覚書》をアマゾン・オンデマンドで出版することはできたものの、ブログ自体は休止状態でした。

集中して読書に取り組めなかったことが大きいのですが、そんな言い訳は昨年でおしまいにして、今年はこちらの方にも力を注いで行けたらな、と思っています。

本年最初に取り上げるのは、昨年最後のアップとなった佐藤勝彦先生の著書の中から、新年に相応しい書画本「不二讃々」

表紙の画も合わせ、33枚の不二山が収められている書画集です。

不二讃々

不二讃々

  • あすか書房
Amazon

不二とは富士山のこと、富士山賛歌の本ともいえるのですが、独特の富士山観に圧倒され、上手く言葉にできるか自信がありません。

ですので、「!」と思った箇所をどんどんどんどん引用していくだけにとどめ、余計な講釈はたれないことにします。

ページは前後しますが、まず「不二山」について書かれた箇所から。

p30より

不二山を描くのには、自分なりに理由がある。不二を描くことによって自分が不二になったような気になるということと、不二になったら如何ような気持ちかというと、日本全国唯一つ、こんなに高くそびえる山はないだろうという誇りを味わうことである。(中略)いい気持ちを味わいたいからこそ不二を描き、不二になっては気分をおおらかにして、その日を出発させるのである。いうならば、不二を描くことによって自己催眠させて、暗示をかけているのかもしれない。

「気分をおおらかにして、その日を出発させる」ーー「一日の始まり」にこう思えたら、どんなにか・・・!

p55より

不二を描くことでなんだか、運に恵まれてきているように思えてならない。あの強烈な不二山をいつも描いていると、不運であるなんて考えられないのだ。

p18より

一日一日をいただいているんだと思えることほど、しあわせなものはないと思う。何をするのもいいのである。そのことが、いいと思えたら何をしてもいいのである。有難いと思えたら、それほどの、しあわせはないのである。どんな職業にあろうともどんな地位にあろうともそこによろこびを見つけるか否かは自分次第である。

p19より

明るくあろうと努めることは、人さまに対してだけでなく、自分自身にも大切なことである。自分で自分を縛って、こだわりの地獄から抜け出るためにも、今を明るく切り替える努力は大切である。思い切って、今の自縛から逃れるために勇気をもって、思い方、考え方の転換をせねばならない。

「こだわりの地獄から抜け出るためにも、今を明るく切り替える努力は大切」ーー ほんとにそうですよね!

p26より

自分の生活の面白いところはいつも自分を眺めて生活しているというところだろう。自分を眺めてその景色、その様子をそのまま写して書きとめている。

おこがましいですが・・・私にも、こういうところが少しあります。

同じくp26より

毎日おつきあいしている自分といっても生涯に一度のおつきあいだということになる。何故なら、毎日同じことのような生活でも、毎日は一生に一度の一日である。

「毎日は一生に一度の一日」、そう自覚して生きていきたいものです。

p27より

今自分が見たり思ったりすることは、実はこの世のすべてだと言っても差し支えない。自分がなくなったらこの世もなくなる。つまり、生きているからこそあるのであって自分が死んだら、この世のことなんか、関係ないのである。だからこそ、自分が毎日考え思うことが如何に大切であるかということである。自分の考えが、今のこの世の全てであるとしよう。すると、自分の考えしだいではこの世をいつも自分のものにすることができるということになる。

p35より

私は大丈夫と念ずる。すると大丈夫という波動が大丈夫の力を形成する。大丈夫が大手を振ってまかり通り出す。大丈夫はいよいよ力を持って、本物の大丈夫に成長する。

p73より

超越的なものに支配されているような気がする。そして一体となっている。この体験は何なのだろう。この一体感のこの気持ち。この情況は言った何なのだろう。不思議なほどに私におとづれるこの情況。そしてこの情況がこの上もなく好ましいのは何故なのだろう。

またまたおこがましいですが、この感覚も、わかる気がするのです。

p83より

結局そのままでいいんだと思う。そのままにすべてが折り込まれているのだからそのままに従うのが一番合っているような気がする。そのままが一番適しているのだと信じたら、そのままが最も良くなってくるし、どうなろうと丁度いいと思ったら、いいことになるに決まってくる。うまく回転していく。いいとおもっているのに悪くなるはずがない。

「そのままにすべてが折り込まれている」ーなんだか量子力学の世界のような・・・

 

1月1日だからと言って、何がどう変わるわけでもないですし、天邪鬼な私ではありますが、少しは気を引き締めて新たなスタートを切りたいとは思っています。

毎日が新たな1日ということでいえば、毎朝が元旦のようなもの・・・かもしれませんね。

そういう気持ちで1日、1日を大切に、感謝とともに過ごしていけたなら・・・!

ーと言いつつ、実はここまでは昨晩(と言っても午前0時過ぎなので「新年」ではありましたが)書いていたもので、ちょっと書き足して、アップしたのが元旦だというだけ。今年もこんな調子なのでしょうか?

こんな私ですが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。<m(__)m>

佐藤勝彦の世界

同姓同名

宇宙物理学者佐藤勝彦先生のことは存じ上げており、その著作も数冊は読ませて頂いていましたが、今回は画家(画だけでなく、書も陶芸も)の故佐藤勝彦先生の方を取り上げさせて頂きました。

佐藤先生のことを知った経緯についてはメインブログ《ちのっぷすの徒然五行歌》に詳しく記していますが、ここでもざっと触れておきますね。

龍国寺のイベント(「草木染天」という型染の曼陀羅展)を見に行った際、お堂の中に飾ってあった書画に心惹かれ、ご住職に「どなたの作品ですか?」とお聞きしたのが発端です。

作者名を教えて頂いただけでなく、佐藤勝彦の世界』という函入りの書画集を見せて頂いたのです。

1981年というと、くら~~い(?)青春時代を過ごしていた頃でした。

その当時よく通っていた長崎浜町の本屋《好文堂》にも並んでいたと思うのですが、おそらくその頃に「出会って」いたとしても、感銘は受けなかったと思います。

こうして今、「出会うべき時に出会った」のでしょう。

ホンネをいえば、できればもう少し早く(当時の佐藤先生と同じ40代の頃に←それも前半ですから今の私より20歳も若い頃!!)出会っていたかったなぁ~とちょっぴり残念ではありますが・・・。

龍国寺からの帰宅後、すぐにネットで検索し、アマゾンにて中古本を購入。

函の裏もまた素晴らしい画でした。

佐藤先生のプロフィールについてはこの本の巻頭ページから引用させて頂きます。

昭和十五年三月七日、満州大連市に生まれる。昭和二十二年、荷物船で引き上げ、母の郷里岡山県上房郡で少年時代を過ごす。鳥取大学学芸部に学び、昭和三十八年より奈良県帝塚山学園小学部教諭を勤め現在に至る。

昭和四十三年、東京で中川一政展を見て大きな刺激を受け、奈良に戻るや猛烈に描き出す。以来、全国各地で年間二十数回の個展を開き、書・画・陶芸・木彫などの作品を次々と発表し続けている。

とあります。

小学校の先生をしながら、年間二十数回の個展!

随分とエネルギッシュな方なんだなと思わずにはいられませんが、そうなった背景というものがあるのでしょう。

戦時中から戦後まで、満州で幼年時代を過ごされており、おそらく命からがらの引揚げを体験しておられます。

同じく佐藤氏の著作「ありゃせん ありゃあせん」という自伝を読んだ友人が「のっけからロシア兵の残虐行為が淡々と書いてあって・・・」と伝えてくれましたが、「三ツ子の魂百まで」と言われる幼年期の壮絶な体験は、「原体験」というにはあまりにも強烈。

ロシア兵に限らず、日本兵やほかの国の兵士たちの中にも、同じような状況下で同じような非道を犯した人間はいるでしょう。古今東西を問わず。

それが人間の本性かと悲しくならないでもないですが、佐藤先生が

真ん中に鬼、左右に仏様を配した構図の画の下に添えた書には

自分の中に邪鬼も居る 仏もいる

とありました。

人間に鬼と仏の二面性があるというのは、これもまた古今東西(西欧では悪魔と神でしょうが)言われていることですが、佐藤先生は身を持っての実体験からも、常にそうはっきりと認識されていたのでしょう。

鬼と仏が対比して描かれているのではなく、鬼は一人(一匹?)で、その鬼に寄り添うように仏様が両脇にお二人いらっしゃる独特の構図です。

勝手な解釈ですが、「自分の中の鬼を消滅させることはできないが、上手に飼いならすことはできるんだよ。」という希望が見えるような気がします。

佐藤先生は、結核に罹られた時、同じ病室の友人たちが次々と亡くなっていく中、奇跡的に快復されたという経験もお持ちです。

だからこそ、

生きているということはゆるされているということ 愛されているということ えらばれているということ (画集『不二讃讃』p16より)

という、魂の叫びのような書画が生まれたのでしょう。

『不二讃讃』についてはまた改めてご紹介することにして、冒頭の引用文に戻ります。

「東京で中川一政の個展を見て、大きな刺激を受け、奈良に帰るや猛烈に描き出す」とあります。

元々美術教師なので、絵は描いておられたでしょうが、本当に大きな大きな刺激を受けられたのでしょうね。

私にとっても中川一政は、惹かれてやまない画家のお一人です。

知ったのは偶然で、頂き物のカレンダーの絵を見たのが始まりでした。

画集を注文し、画だけでなく、書もそして随筆にも「!」と感銘を受け、このブログの初回に取り上げさせてもらっています。(過去ブログ貼り付けますね)

dokusyozanmai22.hateblo.jp

本当に、色々な偶然(必然?)が重なって、今の私が在る、今の私として生きている。

感謝という言葉は面映ゆいけれど『感謝』その一言に尽きるのかもしれません。

ところで、冒頭に宇宙物理学者の佐藤勝彦先生と同姓同名と書きました。

学者の佐藤先生インフレーション理論の提唱者で、終戦直後の昭和45年のお生まれです。(画家の佐藤先生より30歳お若く、偶然にも夫と同じ誕生日!)

両先生に直接の交流はなかったと思いますが、学者の佐藤先生の著作を画家の佐藤先生が読まれたことはあったのでは、とは思います。(あるいは逆に、画家の佐藤先生の個展に学者の佐藤先生が足を運ばれたことがあったかも)

少なくとも新聞等で、インフレーション理論のことは知っておられたでしょう。

奇しくも、佐藤先生アラン・グースに先駆け、インフレーション理論を提唱されたのは1981年『佐藤勝彦の世界』あすか書房より刊行されのたと同年です。

両佐藤先生の考える宇宙は、案外近しいものであったかもしれません。