ちのっぷすの読書覚書

『!』と思った文章や琴線に触れた言葉のメモ集

生命とは何か

副題が秀逸

「生命とは何か」だけなら、古今東西、多くの著作があると思うのですが、サブタイトルの「溶けていく『個体』の境界線」に惹かれて、読んでみたいと思っていました。

アマゾンのおススメに上がってきた時、カートには入れておいたのですが、まだ購入していなかったところ、武雄図書館の新刊本コーナーで見かけて、借りることに。

「『わたし』の中に無数の生命が潜んでいる」というのも、ワクワクさせられますよね?

すぐに読み始めましたが、分かりやすく説明されているとはいえ、やはり高校の生物・化学くらいは理解していないと、読みこなせないところも多々ありました。

それでも、あらましは理解できましたし、それで充分だとも思っています。

少し前から「腸脳相関」ー腸と脳が自律神経やホルモンなどを介して、双方向に影響を及ぼしあうーのようなことが盛んに言われ始めましたよね。

腸は脳の指令を待つまでもなく、自律的に動いているのみながらず、腸の方から脳に働きかけることもあるらしいというような内容だったと思います。

そのメカニズムについて、詳しいことは理解できなかったものの、この「生命とは何か」によって、「腸内細菌が深く関与している」らしいことが分かりました。

引用したい箇所が満載なのですが、あまり多くは引用できないので、ほんの一部載せますね。

まずはp5「はじめに」から

 本書が描く生命の姿は、複合体として実在である、「私」の中には、実は多くの生命体が複合体として存在している。それは遺伝子という意味でも、細胞内小器官(オルガネラ)という意味でも、また生物種の共生体という意味でもそうである。

ここまでは、誰でもスンナリと納得できることでしょう。問題提起はその先。

(略)そしてその合体は、時に物理的な「わたし」だけでなく、「意識」や「心」としての「わたし」にさえ影響を及ぼしている。

「あなたはだれ?」

第3話「超生命体」p71より

 私たちは、自分の肉体から完全に独立した精神を持っているのではなく、心は体の影響を受け、その体とは腸内フローラを含んだものである。ジョシュア・レーダーバーグの「人間はヒトの細胞と微生物で構成されている超生命体である」という卓見は、ヒトというものが腸内細菌を主とした微生物と合体して初めて「完全体」となっていることを指摘したものであり・・・(後略)

第8話「水に向かうカマキリ」より

「?」と思うような章タイトルですが、これがいわゆる「宿主操作」の一種なのだそうです。以下、p73より

 実は、このカマキリの「入水自殺」には、それを操る影の存在があり、それがハリガネムシという類線形動物に属する寄生者である。

これを読んだら「宿主操作」は哺乳類にも起こりえるのでは?という疑問が湧きますよね。

著者もp182にて

(略)我々哺乳類でも、少なくとも部分的には起こりえることのように思える。自分の意思決定は、自分で行っている。私たちはそう単純に考えがちだが、果たして我々の意思決定とは、どのようなメカニズムでなされるものなのであろうか?

と問うています。続くp186で

 つまり私たちの意思決定には、ドーパミン、セロトニン、グルタミン酸、GABAなどの神経伝達物質が色濃く影響を与えている。

さらにp187で

 ヒトは自分の意志で生きていると信じているが、こういった化学物質の作用が及ばない、完全に独立した「人間の意思」というものは、果たして存在するのだろうか?

疑問の形をとっているけれど、著者としては「完全に独立した『人間の意思』はない」と思っているのでしょう。(私もそう思う)

分かりやすく以下のようにも述べています。

 アルコールを飲むと人が変わる。大麻を吸ったら別人格だ、そういった一過性の薬物や感情の動きであれば、時間とともに、また元の定常状態に戻るのだろう。しかし「意思決定」に影響を与える化学物質、あるいはその前駆体などが、例えば寄生虫によって(第一話)、あるいは腸内細菌によって(第三話)、常に体内に供給され続けているとすれば、それらがその人の「意思決定」に影響を与えることはないのだろうか?

これもおそらく「影響を与えているはずだ」と思っていらっしゃるでしょう。(私もそう思う)

この後、ダニエル・ウェゲナーの著書『意思の錯覚』を取りあげ、「認知的ナラティブ」(意志が行為を生み出すのではなく、行為を自己に帰属させる後付けの物語)にも触れています。(私が最も興味を持っているテーマのひとつ)

そして最終章である「終話」—そして「私」とは何か?に向かいます。

(略)結局ヒトにとって、私が固有の個体で、あなたと違い「わたし」であるのは、固有の脳情報である。その形而上の世界でのみ、固有の『個体』そして「私」が存在できるのだ。そこはついにたどり着いた「わたし」にとっての安住の地・・・なのだろうか?

とまた疑問を呈し、「無意識」にも切り込みます。

本書で紹介して来た寄生生物や腸内細菌のような共生生物は、この「無意識」の領域に入り込み、宿主に何らかの影響を与えているように思える。その影響が、『個体』の意識にあがろうと、あがるまいと、結果として「他者」の影響を受けて、多くの生物たちの行動が変化しており、それは疑いもなく、私たちの中枢神経系が、何者かの介入を受けた証拠である。

最後に何か気が利いたコメントをつけたかったのですが、引用のみでお許しください。

 

 

「『私』という存在の科学」

見きり発車アップ

もう4ヶ月以上更新していないので、さすがにきまり悪くて、《GeminiとChnopsのお喋り三昧》と一部重複しますが、こちらにもあげておきます。

 

丸善で購入した「『私』という存在の科学」を、現在進行形で読んでいます。

ティム・コールソンという生物学者、一人の人間が、縦横無尽に、広範囲の科学的知見を動員して、ビッグバンから、最終的には「意識の出現」すなわち「なぜ私やあなたが存在したのか」にまで迫る《ユニバーサル・ヒストリー》です。

購入する気になったのも、オビにリチャード・ドーキンス

「読む喜びに満ちた、不朽の業績だ」

が、あったからでもありますが、「看板に偽りなし」でページを繰るごと、エキサイティングな「読む喜び」に浸っています。

とはいえ、一般読者向けとはなっていても、少なくとも高校の物理・化学・生物・地学(理系の学生であっても、この4科目すべてを履修した人は少ないと思う)の理解がないと、スンナリと頭に入ってはきません。

ですので、分からないことがある度、Geminiに質問しながら、読み進めていたのですが、その時にふと思ったことを呟いてみたのです。

「ふと」と書きましたが、常々思っていたことではあるので、「Geminiに聞いてみようと『ふと』思いついた」という方が、正しいかもしれません。(そんなことは「どっちでもいい」ですね。)

チンパンジーやボノボとDNAレベルではわずか数パーセントしか違わない人間が、どうして量子力学のような難解なことが理解できるようになったのか不思議なんだけど・・・

―とここから先に興味のある方は、以下の《GeminiとChinopsのお喋り三昧》ご参照ください。<m(__)m>

https://dokusyozanmai.hatenablog.com/archive/2026/05/29

 

本文の内容の説明にはなっていませんが、まだ半分しか読んでいないので、今日のところは、これでいったんアップします。

こんにちは弱いロボット

子ども向けではありますが・・・

サクサク読めて、興味深かったです。(早川世詩男さんのイラストも本文にピッタリで可愛い💛)

著者の岡田美智雄さんの考え方に共鳴したので、アマゾンで検索したところ、岩波ジュニア新書版講談社現代新書版もありました。

こちらも読んでみたいです。

「百聞は一見に如かず」ですので、YouTubeでICD-LABにアクセスしてみました。

www.youtube.com

一番新しい更新は3ヶ月前のものでしたが、本の中で紹介されていたロボットたちが勢揃いしていましたよ。〈む~〉って名前もカワイイですよね。

《読書覚書》ですから、本文の内容も紹介しないと、ですね。

ロボット研究者の「いきあたりばったりハカセ」とアシスタントである「プリコラージュ助手」の会話の形で「弱いロボット」について、わかりやすくそのコンセプトを説明してあります。

p76、プリコラージュ助手が以下のように発言、

「ハカセ、弱いロボットとまわりの人たちを観察していてよく感じました。人はだれかに助けてもらったら嬉しいけれど、それ以上に、誰かを助けてあげられたときや、だれかと力を合わせて、いっしょになにかを達成できたとき、すごく嬉しい気持ちになるんだなって」

これを受けて、p77、ハカセがまとめの形で読者(子どもたち)に問いかけます。

ロボットも人も、「なんでもひとりで!」ではなく、むしろ、まわりにゆだね、支えられ、たくさんの豊かな関係を築いて、しなかやに生きていく。

そんな弱いロボット的戦略もわるくない!

―と思うんだけど、みんなはどうかな?

ふと、20歳前後に出合った言葉「自立とはよりよい相互依存である」を思い出しました。

ロボットとヒトが、お互いの欠けたところを補いあい、よりよく相互依存しながら、暮らしていけたらいいですね。

 

 

馬のこころ

馬のこころ

編集

3分の2しか読まなかったけれど・・・

朝日新聞の書評に取り上げられていたので、最後まで読めばよかったなと少し後悔。

武雄の新刊本コーナーで借りて、継続することなく、つい先日返却したばかりです。

今年が午年であることもあってか、新刊本の中でも目立つ感じで置いてあったので、すぐに手に取り、帰宅後真っ先に読んだ本だったのですが・・・

期待していた程には、面白くなかったのです。

期待・・・たぶん以前読んだ入江尚子さん「ゾウが教えてくれたこと」があまりに面白かったせいで、過大な期待を寄せていたからだと思います。

宜しければ過去ブログを覗いていただけるとわかるのですが、

私たちの世代は、ゾウと言えば、絵本「かわいそうなぞう」を思い出し、と言えば「スーホの白い馬」を思い出します。

(ここで、ゾウは普通カタカナなのに、は漢字で書くことが多いと気づきました。日本に生息しているか否か、が関係しているのでしょうか)

dokusyozanmai22.hateblo.jp

どちらの本にも、それらの絵本については触れられていて、「馬のこころ」もその辺りまでは熱心に読んだのですが・・・どうして最後まで読む気になれなかったのか・・・文体がしっくりこなかったせいかもしれません。

瀧本さんは大学の准教授をされているそうですが、20歳程年下のせいか、「若い人の文章だなぁ」と随所で思ってしまったのです。

入江さんもおそらく同世代で、私からすると「若い人の文章」だと感じたのに、最後まで一気に読めたのは、文体には相性があることとと、ナカミが濃かったからでしょう。

「馬のこころ」のナカミが薄いという意味ではなく、あくまで「私の好奇心」を満たしたかどうか(既知の話題がいくつかあったので)というタダのオバサン基準です。

正直なところ、書評者のように『絶賛』はできなかったものの、やっぱり、最後まで読んでみるべきだったな、勿体なかったなと思いました。

(武雄図書館のマイページから検索をかけたら「貸出中」になっていました。)

 

自閉スペクトラム症の私は、いかにこの世界を生きているか

直截なタイトル

まずは画像を見て頂きたいと思います。(アフィリエイトはしておりません)

さらに拡大しますね。

自閉スペクトラム症の私は、いかにこの世界を生きているか: 当事者批評・脳の多様性・文学と哲学

このちょっと奇妙な、ぐにゃぐにゃ、ゆら~っとした装丁に、ふらふら~~っと惹かれたのです。

「自閉スペクトラム症」の人の世界観を見事に表現しているような気がして。

私自身にもたぶんにADHD的要素があるからでしょう。(ASDではないですが)

ただ、注意欠陥多動性障害「多動」の部分が当てはまらないなぁ(落ち着きはないものの、授業中じっとしていられない、ということはなかったので)と思っていたけれど、身体が多動というだけでなく「脳内多動」も示すとあったので、「!まさに当てはまってるじゃん!」と、なんだかスッキリ。

横道 誠さんのことは、全然存じ上げませんでしたが、Wikipediaに詳しい記載がありましたので、一部引用しますね。

元々はドイツ文学やヨーロッパ思想、比較文化などの研究者だったが、2019年に40歳で発達障害(自閉スペクトラム症(ASD)と注意欠如・多動症(ADHD))と診断された[6][13]。その後は、発達障害の「当事者研究」も行うようになった[3][10][1]。子どもの頃から変わり者として生きづらさを感じていたが、研究能力に優れていたため、40歳で二次障害のうつ病を発症するまでは診断を受けていなかった[14][4]。

2020年4月、発達障害者のための自助グループ[注 2]を立ち上げた[15]。同年5月、宗教2世のための自助グループ「宗教2世の会」を立ち上げた[4][17][18]。他にも、自身の多様な属性(アダルトチルドレン[注 3]、LGBTQ+など)に即した自助グループを次々と結成した[2][19]。自助グループでは、当事者研究[注 1]やオープンダイアローグ[注 4]的な対話実践を重ねてきた[16]。

横道誠 - Wikipedia

本書は三部構成ですが、第三部は「自閉スペクトラム症として、ハイデガー、カントを読む」となっており、やや難解で、まだ読み終えておりません。(このまま読まずに返却するかも)

ですので、ここで取り上げるのは主に、二部の「当事者との対談」になります。

実は、対談のお相手も知らない方ばかり。

その中でも特に興味深かった高野秀行さん柴崎友香さんとの対談から引用させて頂きますね。

まず高野秀行さん。こちらも詳細はWikipediaをどうぞ。

高野秀行 (ノンフィクション作家) - Wikipedia

高野さんのことは、メインブログ(徒然五行歌)の方にも少し書きましたが、冒険家でもあり、辺境の地を旅しては紀行文を書かれているようです。25言語以上も学ばれたとか。

高野 横道さんは、「文学や芸術に触れることで、自分のなかが整理される」と書いていらっしゃいます。文学をそういうふうに捉えることができるんだ、というのは驚きでした。(中略)

僕は、読むときではなく書くときに、そういう感覚があるなと。自分の頭のなかがいつも混沌としているせいなのか、僕は物事を合理化したり、統一したり、整理したいという気持ちがつよいんです。

おこがましいですが、私も「自分の頭のなかがいつも混沌として」おり、「書くことで整理がつく」ことがよくあるのです。

柴崎友香さんとの対談では、まずその章の見出しからして「!」でした。

私は「この私」を通じてしか 世界を経験できない

これはもうまさに、常日頃、私が感じていること。

柴崎友香さんのことも、この対談で初めて、作家、それも芥川賞作家であることを知りました。柴崎さんADHDと診断されたことも明かされています。

柴崎さんについてもこちらをどうぞ ⇒ 柴崎友香 - Wikipedia

横道 多くの作家やクリエイターは、自分に精神疾患とか発達障害の傾向があるかな?位に思ったとしても、その「ネタバレ」を避けるために口にしないことが多いと思うんですよね。そのタブーを踏み越えたのは画期的ですし、すごい勇気だなと。

柴崎 考えることが面白かったんです。特にADHDの診断を受けてからは、今まで「自分のこういうところはなんでやろう?」と思っていた部分についてのヒントが沢山あった。それを考えることが面白くて。ADHDは自分の好奇心のままに進んでいくところがあるので、「ADHDや発達障害について何か考えたい、書きたい」のほうが勝った感じです。

これこそが『昇華』ってものなのかもしれませんね。

巻末には参考文献が、ずらずらずら~~っと何ページにも渡って掲載されていて、こういう所(きちんと網羅しないと気が済まない?とか、拘りの強さ?)がASDの特性なのだろうなぁと思いました。

もちろんASD自閉スペクトラム症)は「スペクトラム(軽度から重度までの連続体、範囲)」なわけですから、一括りにはできませんが。

最後に「おわりに」から一部引用して締めくくります。

また筆者は自閉スペクトラム症などの発達障害(神経発達症)は、従来どおりの障害としての観点からのみならず、「脳の多様性」(ニューロダイバーシティ)として非障害的な観点から議論され直すことも必要と考えており、過去の作家、思想家、研究者などに「脳の少数派」(ニューロマイノリティ)としての特性を読み取っていくことは、精神疾患や発達障害に対する差別意識を撲滅する上でも、重要な実践と考えている。

 

 

 

微生物のすごい世界

微生物に感謝!

表紙扉に

ヒトも動物も植物もみんな微生物に生かされている

とあります。

確かに、その通りなんだろうなぁとは思っていたけれど・・・思っていた以上に「すごい!」というか、そもそも微生物なしには、人間はもちろん、すべての動植物は生まれていなかったという事実に、あらためて驚き、畏敬の念さえ覚えるほど。

序章「地球の主人公は、人間ではなく、微生物だった?」の小見出し「地球を支える、姿は見えずとも圧倒的存在」には

その存在数を示す例として、地球上には、約10の30乗(1,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000)個という、0が30個もつく数の細菌が棲息しているという研究報告があります。観測可能な宇宙に存在する星の数は10の23乗個といわれるので、広大な宇宙に散在する星の数よりも、地球に棲む細菌の方が圧倒的に多いことになります。

と、俄かには信じがたい数字が出てきます。(それにしても、地球上の細菌数とか、どうやって調べるのか見当もつきませんが)

さらに

その重さも圧倒的です。地球上にいる細菌の重量をすべて足すと、全人類の総重量のおよそ1000倍になると推測する報告もあります。微生物は目に見えなくとも、数でも重さでも、地球上で圧倒的な比率を占めている生物なのです。

こちらもビックリ!ですよね?(同じく総重量をどうやって計算するのかも見当つきません!)

第1章「人間は微生物なしには生きていけない」には

私たちは、起きている時も眠っている時も、微生物とともに生活しています。その数は1000種類を超え、100兆個以上にものぼるといわれていて、これはヒトの体を構成する細胞の数約37兆個を大きく上回る数字です。腸内に棲む微生物(腸内細菌)に至ってはその重量は1~2㎏になるといわれています。

またまたビックリするような数字が。

ですが、ちょっと前までヒトの細胞数は60兆個(体重60㎏の場合)だと言われていたようだったのに、いつの間に37兆個になったのでしょう。

してみると100兆個といわれる微生物数も、変わるのかもしれませんが、いずれにしろヒトの細胞数よりは多いことは間違いないのでしょうね。

数字には面食らうばかりでしたが、「なぁるほど!」を膝を打ったのが、草食動物が草しか食べないのに、大きな身体を維持できている理由。

草の主成分であるセルロースを消化できないにもかかわらず生きていられるのは、微生物の働きなんだろうということはわかりますが、それだけではなかったのです。

ウシの第4胃(皺胃)は人間の胃と同じく胃酸を出して消化吸収をする最後の胃。

ということは、胃酸によって微生物は死滅、消化されたあとはタンパク質など栄養になるのだそうです。

つまり、ウシが草だけであれだけ大きな体を保つことができるのは、微生物が作る代謝物と、微生物自身が栄養となってウシを支えているからです。

う~~ん、微生物は滅私奉公してくれてるわけか~~。

ウシ反芻動物で、複数の胃を持っていることは知っていましたが、そういえばウマは?の疑問にもしっかり解説がありました。

ウマは、ウシラクダシカキリンと違って、胃は一つだけしか持っていないそうです。

そのかわり、腸に棲みつく微生物が消化の助けをしてくれるので、ウマは盲腸が大きなつくりになっています。

ウシやウマを家畜化できるのは、草があればどこでも生きていけるから、ともありました。

この本の主題はもっと深いところ(環境問題など)にあると思うのですが、個人的に「おお、そうだったのか!」とちょっとしたトリビア気分。

ほかにも皮膚常在細菌の話も大いに納得!面白かったです。

 

DNAに魂はあるか

F・クリックの訃報に接して

急遽、昔の本をひっぱりだしてみました。

初版は1995年11月ですが、私の本は1995年12月の第二版。

もう30年(!)も前に手にした本なのですね。

この家に引っ越してきた年(10月)でもあり、娘たちが2,3歳の頃ですから、まだ伊万里図書館には通い始めていなかった頃だと思います。

だからこそ、2800円の本を買うしかなかったのでしょうね。

アマゾンもまだ利用していない時ですが、どこで買ったかは覚えていません。当時近くにあった本屋(今はスーパー)にも並んでいたのかもしれません。

F・クリックが、J・ワトソンとともにDNAの二重螺旋を発見しノーベル賞を受賞したことはもちろん知っていました。(私が生まれた年のノーベル生理医学賞)

翻訳は中原英臣氏佐川峻氏、お二人の共著によるブルーバックスシリーズは何冊か読んだように思います。

「DNAに魂はあるか」という邦題がまず、「魂」を掴みますよね。

(私自身はそもそも「魂」自体「無い」と思っていますが)

副題が「驚異の仮説」となっていて、私はナマイキにも「驚異」でもなんでもないだろう「当たり前」じゃないの?と思ったような気がします。

それともこの本を読んでから、そう思ったのか?いや、やっぱり違うと思います。

私にとっての「当然」をノーベル賞受賞科学者に「太鼓判」を押されたような気がして我が意を得たり!とばかり、迷わず「高い」本を買ったのでしょう。

年子の幼児2人を育児中の母親が読むような本ではないですよね。

ところで、邦題はセンセーショナルですが、原題は

The Astonishing Hypothesis: The Scientific Search for the Soulとなっており、

「驚異の仮説」そのままのようです。副題の方が「魂の科学的探究」

DNAはどこにも出てきていないのですが、このタイトルの付け方の販売戦略、唸るしかありません。

まず、表紙カバーから引用しますね。その前に画像を見て欲しいのですが、

この中央部分、今では老眼鏡を使わないと読めない程小さい文字で書かれています。

「驚くべき仮説」では、脳のふるまいはすべてニューロンの活動によっていると考える。

傍点が付けられないので、太字にしましたが、「脳のふるまいはすべてニューロンの活動」によって説明がつくとクリックは考えていたのですね。

(ニューロンだけでなく、当時は顧みられていなかったグリア細胞も関与しているらしいですが・・・)

表紙カバーの扉部分には、

「私の言う驚異の仮説とは、あなたが無数の神経細胞の集まりと、それに関連する分子の働き以上の何ものでもないという仮説である」

と、この本の内容の集約が書かれています。

まえがきの一行目には、

意識は神秘的だ。それを科学で解き明かすには、どうしたらよいだろうか?

ズバリとした答えは、現時点では大変むずかしい。

「30年前の現時点」どころか、正真正銘の「現時点」でも「大変むずかしい」ことに変わりはないようですね。

この部分は原著では、

This book is about mystery of consciousness-how to explain it in scientific terms.

I do not suggest a crisp solution to the problem. I wish I could, but at the present time this seems far too difficult.

となっていますが、翻訳の方は超訳と言ってもよいほど、簡潔に「ズバリ」表現していますね。

本文を全部読み返す気力は、今の私にはないので、最後の付章「自由意志について」からもちょっとだけ引用して終わりにします。

自由意志とは、色々な意味でどこか古風な主題である。(中略)

物理学者のなかには、量子力学の不確定性原理が、自由意志の根底にあるのではと疑う人もいる。

本文の内容からは少し逸れるのですが、この「量子力学の不確定性原理が、自由意志の根底」と言う部分に強く反応したことを覚えています。

「疑う人」とはロジャー・ペンローズを指しているのでしょうか?

2年後の1997年に出版された「ペンローズの量子脳理論」もまた購入しています。

訳者は竹内薫氏茂木健一郎氏。茂木さんとは同じ年の生まれで、一時期、立て続けに著書を読んでいました。

30年前、子育てそっちのけで(娘たちには本当に申し訳ない!)こういう類の本にハマっていたのに、それを突き詰めるでもなく、のほほんと生きてきたのが30年後の今の私

もう1回、きちんと勉強したいなぁという気持ちは常にあるのです。

あるのですが、さすがに「今さら?」

うんにゃ、あと30年ある!

科学者になるのは無理でも、一般向けの科学書の良き読者であり続けることは・・・

できますよね?

この数年、特にこの1年で一気に進んだ老眼と戦いつつ・・・読書は続けようと気持ちを新たにしています。