ちのっぷすの読書覚書

『!』と思った文章や琴線に触れた言葉のメモ集

子らと妻を骨にして

 松尾あつゆきさんの日記をもとに

タイピント印刷の社長より奈華よしこさんの『光の彼方へ』という歴史漫画を紹介頂いたことより、奈華さんが被爆を題材にした漫画を描かれていたことも知りました。

(その経緯は、宜しければ《徒然五行歌》の方を覗いてみて下さい。m(__)m)

 https://chinops222.hatenablog.com/entry/2021/05/21/095842

 これはもう・・・絶句・・・と言うか・・・涙なくして・・・読めませんでした。

矢の平伊良林といった、長崎市内でも特に良く知っている地域の名前がでてきたこともあり、あまりにも身近過ぎて・・・

特に、伊良林国民学校伯母が当時通っていた学校であり、のちにが通うことになる 伊良林小学校その校庭で沢山の遺体が焼かれたこと

半世紀(!!)程前、私たちは何も知らずにあの校庭で無邪気に遊んでいたものですが、それはその頃より僅か20数年前の出来事だったのです。

つい先日、ここ糸島に越しての20数年は《あっという間》だったとブログに書いたばかりですが、それと同じ位の時間しか経過していなかっということなのですよね。

松尾敦之(あつゆき)さんの日記原爆句抄をもとに、お孫さんの平田周さんが編集され、奈華よしこさんが漫画にされた本ーこれはもう読んで頂くのが一番かなと思います。

宏人は大した外傷もないようだったが、間もなく脳症を起し、手に握っていた木の枝をしゃぶって、さとうきびばい、うまかとばいと言っていたそうである

このあと父・敦之のモノローグが続きます。

かわいそうに 宏人

戦時中に生まれて キャラメルの味も チョコレートの味も知らずに・・・

宏人くんは4歳でした。

そして次女由紀子ちゃんはまだ7ヶ月。

海人を中央にして、右と左に宏人と由紀子を並べる

爆死は免れたものの、長男海人くんも翌日息を引きとったのでした。

3人の子ども達を、伊良林国民学校の校庭で焼いたのです。

由紀子の骨は はなびらのように 透きとおって とてもきれいだったよ。

そう告げても千代子さんは「そうですか」と言うのみ。

あい変わらず 千代子の感情は ぬけおちてしまっている

乳飲み子を含む3児を喪い、正気ではいられないのが普通でしょう。

そしてとうとう・・・その妻まで終戦の日に旅立ってしまいます。

十六の時 わたしに嫁いで 十八年 連れ添って

こんな姿で逝ってしまうための人生じゃなかったろう

なあ 千代子

 敦之は、家も妻も子も失い、職も辞して、長女みち子さんの看病をします。

姉弟の中でただひとり生き残ったみち子さんは、平田周さんのお母様にあたり、この本の後半はみち子さんの手記が基になっています。

みち子さんが55歳という若さで亡くなったのも被爆の後遺症があったからでは?

『子らと妻を骨にして』ータイトルをいま一度、胸に刻んでおきたいと思います。

あわせて 原爆句抄 もぜひ読んで頂きたい本です。

これについてはまた改めてアップしますね。

私が借りてきた版には英訳もついており、被爆50周年の節目に出版されています。

文字が小さく(特に英文は老眼鏡のお世話になりました!)少し読みづらかったですが、四半世紀前ですもんね。新聞も単行本・文庫本の文字も今より小さかった・・・。