ちのっぷすの読書覚書

『!』と思った文章や琴線に触れた言葉のメモ集

わたしたちの親不孝介護

久々の介護本

武雄図書館の新刊本コーナーから借りた本です。

親不孝介護という本の続編に当たるようですね。

先にこちらから読むべきでしたが、おそらく「わたしたちの親不幸介護」の方が対談形式になっている分、より読みやすいと思います。

著者の川内潤氏NPO法人「となりのかいご」代表で、1980年のお生まれだそう。

介護本が日経ビジネスから出ているのも興味深いところ。

カバーの裏に

親とは距離を取るほうが

親も自分もうまくいく。

『親不孝介護』の考え方を

8人の介護予備軍、

経験者、専門家が

分かりやすく具体的に

不安や疑問が消えるまで

語りつくします。

とあります。

『親不孝介護』と言う言葉には「ビビッと」以上のものを感じました。

だからこそ、手に取って読んでみる気になったのですが、読んでみて「うん、うん、そうそう」と頷くことしきり。ストンと腑に落ちる箇所が沢山ありました。

これは私も一応「介護のプロ」の端くれだからなのでしょう。

この仕事にゾッコン惚れ込むというか、ドツボにはまるというか、これはもう経験したものにしかわからない不思議な感情です。

対談者は、巻頭がまず爆笑問題の太田光氏

川内氏も言っておられましたが、コメディアン太田光から受けるイメージと全く違っていて、新鮮な驚きと親近感を覚えました。

さらに、ノンフィクション作家の高橋秀実氏『おやじはニーチェ、認知症の父と過ごした436日』の著者)など、お名前を知っている方もいらっしゃいましたが、ほかはあとお一人を除いて一般の方です。

一般の方といっても、大手企業の管理職や、ファイナンシャルプランナー、翻訳者といった、世間一般的には「成功者」の部類に入る方々ばかり。

そういう成功者程「親孝行介護」の呪いにかかりやすいともありました。

この本はガチで勝ち組会社員とその妻向けのですよ。

実名での対談の中、お一人だけM女史(50代キャリアウーマン)となっていた方の発言です。(この本とあるのは先に刊行された『親不孝介護』の方)

歯に衣着せぬ物言いが、スカっとする部分がいっぱいありました。

母に対する娘の想いなど、ふかぁく共感。(もっとも私は彼女のように名門女子高出身の「世間一般的にはわりと成功した娘」ではありませんが、物の考え方が似ているような気がします。)

私の母への気持ちを表すとしたら、汚い言葉ですけれど「うざい」です。今、うちの母が80代後半で、一度倒れたこともあって、心配は心配なんですけれども、うざいんですよ、親が。めちゃくちゃうざくて。

これはもう、まさに「私の、母に対する気持ち」「娘の、私に対する気持ち」の代弁のよう。

M女史との対談の章は「『勝ち組夫』の介護への暴走、妻はどう止める?」というタイトルになっており、自分の母の介護についてではないので、ちょっと逸れたのですが、母と娘の関係性と母と息子のそれとでは、かなり違うのではないか、というのはその通りだと思います。

逸れついでに、「母と娘の関係性」と言うことで言えば、M女史や私のように「距離を置きたいタイプ」と「仲の良い姉妹や友人同士タイプ」に2極化されるように感じます。

上記で「あと一人を除いて」と書きましたが、そのお一人とは、歌手の高橋洋子さん。存じ上げませんでしたが、「新世紀エヴァンゲリオン」のテーマ曲を歌われた方なのだとか。

それほどの大ヒット曲を出された歌手なのに「こんな状況にいたら、私は人としてダメになってしまう」と30代で芸能界を引退し、介護職に就いたという異色の経歴の持ち主。(現在は歌手活動を再開しておられます。)

高橋さんの対談については全編ここに収めたいくらい素晴らしいものでしたが、そういうわけにはいきませんので、ここは絶対外せない、という箇所を引用させていただきますね。

高橋:介護はこれが初めてでしたが、実は「福祉」はわりと自分の近くにありました。いろいろな施設に行って手話で一緒に歌う練習をしたりとかして、どれくらいかな。足かけ10年ぐらいは施設やイベントに行ったりしました。そこで皆さんとお会いして分かったことは、「私がやってあげているんじゃない。いただくことのほうが多い」んですよ。

川内:すごい。介護もまったく同じだと思います。だけど相手の言うことを聞く耳、聞く意識がなければ、それはいつまでもたっても分からないんですよ。

 介護も福祉も自分で正面から「人間対人間」として関わると分かるんですよね。『親不孝介護』は、親の介護に子ども自身が直接関わることは双方にとって不幸だ、ということを訴えている本ですが、それを仕事にする方には、「与えるよりも、与えられることの方が実は多い」ということも知っていただけたらと強く思います。

 

高橋:(前略)「自分には関係ないし、できないよ」ではなく、「まずはこのくらいならば自分にもできる」という介護体験をする場が増えてほしい。

川内:それを通して「介護は汚い、キツい」というネガティブな感情から逃れることができると、さらにいいですね。

高橋:介護に対してそういう先入観は強いですよね。現場でも「なんで自分は介護”なんか”やっているのだろう?」と口に出す人がいました。だけど、そういう人でも介護の本質に触れていくと考え方が変わっていきます。

 

高橋:介護を通して私が思ったのは「人は生きたように死んでいく」ということなんです。人って生きたように死んでいく。それを介護する人が一番近くで見ることができる。だから死ぬということがもっと身近になって、不吉なものではなくて、当たり前だと思ってほしい。

川内:すごい。まったくその通りだと思います。人が衰えて死んでいく時期には、生きていく人が学べることがたくさんあるんです。介護はそう自覚していれば、携わる人をすごく成長させる仕事なんです。(中略)

高橋:ですよね。私はまだこの年齢なのに、普通の物差しでは測れない貴重な気付きを介護した方々から、仕事を通していただくことができた。介護の仕事をやっていると、そういう体験は必ずあって、それは人生においてすごく幸運で、ありがたい、奇跡のような体験だと感謝しています。

川内:そうですね。

―—うーん、お二人の目を見ると「本当なんだろうな」と思うのですが、これはやってみないと分からないことのようですね。

高橋:もちろん、奇跡が毎日起こるわけじゃないです。でも、長くやっていると必ず「これか」と思う瞬間が来ます。だからやってみたらいいと思うんです。

これはもう本当に「やってみた者でないと分からない」と実感として思います。

私も何度か「奇跡」と思えるような瞬間に立ち合わせていただいたことがあります。

この仕事の醍醐味というか、介護にハマった所以かもしれません。

最後に対談者8名の中で唯一「専門家」、サポートする側の立場として医師の佐々木淳氏の発言もいくつか引用させていただいて、締めくくりたいと思います。

まず、佐々木先生の紹介として以下のように書かれていました。

 佐々木淳先生は、著書『在宅医療のエキスパートが教える 年をとったら食べなさい』(飛鳥新社)で、世の中の「年寄りの食事の常識」をことごとくひっくり返しています。「血圧や血糖を気にするより、とにかく食べなさい!」と断じ、高齢者にお勧めのメニューとして「ハンバーガー」を一押しするのです。「衰えが気になり始めた高齢者は動脈硬化より痩せてしまうことを心配すべきだ」というわけです。

 「不摂生は老人の特権」とまで、佐々木先生は言い切っています。

対談の内容に移ります。

佐々木:つまり、本人にとっての利益は何かということよりも、「家族として責任を果たすにはどうすべきか」みたいなおかしな観念論が出てきて。

川内:そこです、そこです。

佐々木:「一人暮らしで置いておくわけにはいかないだろう」みたいな”世間の常識”で決まったりするんですよね。

(中略)

佐々木:そう。親のためじゃなくて自分のための意思決定をしているんですよね。無意識のうちに。本人はそれは親のためだと思っているんですね。でも実は親のことを家族はあまりよく知らない。だって自分が生まれる前の親のことはよく知らないし、離れて暮らしていたら、親が今どういう気持ちで生活しているかもよく知らないし。

佐々木:介護の専門性とは何なのか、言葉にしろと言われたら「医療によって回復できないというステージにおいても、最期までその人の生活をサポートできる」なんですよね。「高齢者福祉医療の3原則が1982年にデンマークで提唱されています。この「生活の継続」、そして「本人の選択の尊重」「残存機能の活用」。

 残存機能というのは、できることはやってもらうというニュアンスが感じられると思うんですが、そうではなくて、「その人らしさが発揮できる生活環境を整える」という意味だと僕は思うんです。これは高度な専門性が求められる仕事で、医療よりもよっぽど専門性が高いんですよ。

――医療よりも、ですか。

佐々木:だって「医療」って、病名がついたら、あとはもう、プロトコル(手順)に従って治療するだけなんです。だけど「生活」は、その人のこれまでどんな場所でどんな暮らしをして、これから先どう暮らしていきたいのかをきちんとキャッチした上で、その人の強みをアセスメント(評価)して、その人らしさを熟知し、最適な環境を個別につくるんですよ。

 体がケアできているのは大事だけど、同時に個人因子だけじゃなくて、環境因子を合わせてみなきゃいけないのが、医療にはない仕事なんですね。

――いや、それは聞いただけでもめちゃくちゃ大変ですね。

佐々木:お分かりと思いますが、これはすごくハイレベルなお話をしています。ここも含めてちゃんとできる介護職が日本に増えると、たぶん独居高齢者はみんなハッピー。

(中略)

佐々木:家族の発言力が大き過ぎるのと、医療が介護の上に出しゃばりすぎているというのはありますね。(中略)心不全だから食事を塩分制限しなきゃいかんのじゃないかとか。「治療のために生きている」人がたくさんいますよ。日本のケアの現場に。

この「医療が介護の上に出しゃばりすぎている」というのは、この場合の意味合いとはずれますが、別の意味で、常々感じます。

病院ではなく、老人ホーム、つまりは家、生活の場なのに、介護士より看護師の方が威張っているというか、上から目線であることが多い。

少なくとも介護士に指示するのが看護師の仕事だと思い込んでいるフシはあります。

1日十何錠もの薬の、1錠を服用させ損ねただけでも、「事故報告書」。

介護士は看護師に報告義務があり、何の薬で、それを服用させ損ねた場合の対処法(気づいた時点ですぐ服用させるのか、次の食事の後でよいのか、あるいは服用させない方がよいのか)を薬局や医師に問い合わせ、その指示に従わなければいけないのです。

確かに1錠服用し忘れただけでも重篤な結果を招くような薬もあるでしょうが、高齢者の服用する多くの薬は、語弊はありますが、1回くらい飲み忘れても大した影響はないと思います。

佐々木:「ちゃんとやったって、そう変わらんよ」って、医者が堂々と言えばいいんだけど、医者の多くはアホですから、「これは病気だからちゃんと治療しなきゃダメですよ」「何で出した薬を飲まないんですか」というアプローチを、高齢者の方に対してもするんですよ。

(中略)

佐々木:高血圧も不眠症もみんな老化なのに、これに病名を付けて治療して診療報酬をもらうのが、お医者さんの商売になってしまっているんだと思っています。

この「病名を付けて治療して診療報酬を貰うのが、お医者さんの商売になってしまっている」というのは、もうまさにその通りだとしか言いようがない。

必要のない薬を減らすだけでも医療費の高騰を防ぐことができるでしょうに。

佐々木:ですから、医者の考え方も変わっていかなきゃいけないし、家族も変わっていかなきゃいけないし、その上でやっぱり介護職ももうちょっと誇りと自信を持って「ご家族の気持ちは分かりますけど、ここは私たちに任せてもらえませんか」と現場で一言、主張していただければと思います。

介護職が誇りと自信を持つこと―それも本当にその通りだと思います。

とても長くなってしまいました。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。<m(__)m>

明日のアクロス福岡での展示会(Aクロスの会)準備のために取った休みなのに、半日以上この記事(記事って言えるか?!)の為に費やしてしまいました。

今、介護に関わっている方はもちろん、多くの方に読んでいただきたい一冊でした。