ちのっぷすの読書覚書

『!』と思った文章や琴線に触れた言葉のメモ集

原爆句抄

被爆二世として

 アマゾンに表紙画像はありませんでしたが、武雄図書館で借りたのは新樹社版でしたので、こちらになるのでしょう。

こときれし子をそばに、木も家もなく明けてくる

すべなし地に置けば子にむらがる蠅

炎天、子のいまわの水をさがしにゆく

一首目の前には「8月9日被爆、二児爆死、四才、一才、翌朝発見す 」、三首目の前には「長男また死す、中学一年」と添えられています。

瞬く間に三児を喪ったのです。

前回紹介した「子らと妻を骨にして」の主人公であった松尾敦之(あつゆき)氏の自由律俳句で、緑川真澄さんという方の英訳もついていました。(俳句だけでなく、後半の日記の部分も)

英語が母語でない人にも読んでもらえるようにと平易な英文で書かれたそうです。

ちなみに一首目の英訳は

beside my expired children

no trees...no houses...

day is breaking

1995年初版とありますから、戦後50年目の節目に出された本なのでしょうね。

それからさらに四半世紀、さらにあと四半世紀たったら、体験を語れる被爆者は・・・

そう考えると被爆二世である私にも何か為さねばならないことがあるような気がして・・・

それにしても・・・人間ってどこまで残酷になれるのか?

残酷な人とそうでない人の2種類がいるのか、それとも時と場合によってどんな人でも残酷になるのか?極限状態に置かれたら誰でもそうなるのか?

ああ、違う、2種類ではなく3種類いて、日和見主義のような人が大半なのかもしれない。

人が、人を殺すためだけに作った兵器。そんなものがなぜ必要なのだろう?

征服欲? 支配欲? 権力欲?

なんにせよ、人間の脳のどの部分がどのように反応して、そういう欲望が芽生えるのだろう?

戦時下という極限一歩手前のような特殊な状況下では、感情がマヒしてしまうものなのかもしれない。(感情にフタをしないと、とてもじゃないが、生きていけないのかも)

ほのお、兄をなかによりそうて火になる

朝霧きょうだいよりそうたなりの骨で

あわれ7ヶ月のいのちの、はなびらのような骨かな

まくらもと子を骨にしてあわれちちがはる

4首目は乳飲み子をなくした妻のことをうたっています。

前回の本の中にはその乳を娘の代わりに自分が吸ったとありました。

なにもかもなくした手に四枚の爆死証明

lost everything...

four pieces of air-raid death certificate

in my hand

 

降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾りつ

imperial declaration of surrender 

blazing fire

burning my wife's body

 残されたたった一人の娘みち子さんを看病しつつ二人だけの生活が始まります。

配給手帳、しんじつふたりとなりました

rice-ration ticket,

really alone

two of us

 

萩さくははのもの着てつまに似てくる

lespeedeza blooms

daugther wears mother's dress

looks like her young days

翌昭和21年の作

つぎつぎに泣き子の誕生日が、茂りくる

another birthday

of my departed children

grass grows thick

昭和40年ー

うでのケロイドも二十年ことしの夏となる

20years...

of keloid on my arm

another summer this year

 

空にはとんぼういつまでも年とらぬ子が瞼の中

dagonflies in the sky

still infants 

my children in my eyes

そして昭和45年―被爆から四半世紀

大臣代理の代読、聞く被爆者は本物である

mynister's message

read by someone else

we are real A-bomb victims

 

晴天へ噴く、このいまわに求めて得ざりし水

squirt into the blue sky

water...

children wished at thier last moment

平和祈念式典での様子を詠んだものでしょう。大臣代理の代読、虚しいですね。

そして2首目は平和の泉の噴水ー余談ですが、小学3年か4年の社会科見学(平和学習?)で行ったことがあります。H君というやんちゃな男の子が水の中に落ちて、修学旅行中だった中学生に助けられたことを鮮明に覚えています。

25年、あの朝子と手をふって別れたまま

twenty-five years...

waving and saying good-by

last figure of my children

 

亡き子と蝉とりし森もとどおり茂り蝉なく

catching cicadae with my children

hills are green again 

cicadae singing

 

いのち残りすくなし子の墓の草丹念に引く

not much time left 

in my life time 

weeding the grave with a religious care

この《原爆句抄》小﨑侃氏の木版画集がひとつになった本が、長崎文献社から出ています。

 アマゾンでも取り扱っていますが、こちらは長崎帰省した時にブック船長で購入しようと思っています。