トンチンカン!
トンチンカン人形とその作者久保田馨氏についての諸々は《徒然五行歌》の方に詳しいのであえてここには記しません。
《読書覚書》は
『!』と思った文章や琴線に触れた言葉のメモ集
と銘打ってますもんね。
以下は久保田馨氏とトンチンカン人形についての渡辺千尋氏のルポルタージュ。
蓮如賞というノンフィクション文学賞を授賞された作品です。
上記本の p70からの引用です。
何とトンチンカンなんでせう
灰におびえる人々も
それを撒きたがる人々も
おなじ人間なのは
この最大最悪のトンチンカンから
些細なほほえましいトンチンカンに至るまで
私たちは毎日
よろこびのかなしみの
その他のお面をいっぺんにかぶり
神と悪魔と
たやすく手をとり
忽ち訣れ
明日へ新しいトンチンカンをこしらえる
それが生きることらしい
何とトンチンカンなんでせう
トンチンカン の深い意味が、痛いほどわかります。
同じひとりの人間の中にいくつものお面があり、時に神のような、時に悪魔のような二面性も併せ持つ。
それを「神と悪魔とたやすく手をとり、忽ち訣れ」とこれ以上でも以下でもない短く鋭い表現でズバリ。
感受性の塊のような彼の生き辛さを思いました。自殺未遂も起こしています。
嗜んでいた俳句の中に
蚤にくれる血はあり乍ら蚤を殺す(上記本p146)
という一句がありましたが、この感受性は、26歳で自死を選んだ金子みすゞと相通じるものがあるような気がします。
彼は1970年(大阪万博の開催年)、42歳の若さで亡くなっていますが、腹膜炎で入院中のその死が、「病死だったのか、それとも意志によるものだったのかは、今となっては誰にも判断は下せない」(p196)とありました。
大阪万博とあえて書いたのは、彼のトンチンカン人形のひとつが、岡本太郎の太陽の塔によく似ているから。ただし作ったのは彼の方が先で、大きさは全然違いますが。
彼が亡くなって50年(大阪万博も半世紀前!)
彼の姉妹は今どうされているでしょう?女性の80代、90代なら存命である可能性が高いですよね。
それから彼が開いていた《アリの会》のこどもたち―きっと幾人かは、今も長崎に暮らしておられるのでは?
願っていれば、お会いすることも叶うかもしれません。