数ヶ月ぶり
糸かお100分の1オーナーになって、もう半年以上になります。
大好きな本の仕事にほんのチョッピリでも携わっているのですから、メインブログ並みに、こちら《読書覚書》の方も充実させないといけないと思いつつ・・・
なかなかアップできずにいます。
そもそも、最近あまり本を読んでいないのです。
ですが、そうも言っていられませんね。
少しずつですが、こちらの方も訪問してくださっている方が増えているので・・・
今日の本は永山裕子さんの「絵が上手いより大事なこと」というエッセイ集。
ですが、画集と呼んでもいいくらい、沢山の素敵な絵が散りばめられています。
エッセイ集と書きましたが、Q&A形式になっていて、絵を描く心構えや技法などについて絵画教室の生徒さんへの講義のような構成にもなっており、パラパラとめくっているだけでもアートの世界を垣間見させてもらった充足感に充たされます。
中までお見せできないのが本当に残念!
Q3りんごを描こうと思ったとき最初に考えることは?
という項目にはぐいっと惹き込まれました。
まどみちおさんの詩集からの引用があったからだと思います。
絵心はまったくない私ですが、一応「五行歌」やっていますので、「詩心」は多少なりとも持っているのかも・・・しれません。びびっときたのは確かですから。
まずは、まどみちおさんの「リンゴ」をそのまま引用しますね。
リンゴを ひとつ
ここに おくと
リンゴの
この 大きさは
この リンゴだけで
いっぱいだ
リンゴが ひとつ
ここに ある
ほかには
なんにも ない
ああ ここで
あることと
ないことが
まぶしいように
ぴったりだ
まどみちおさんというと、「ぞうさん」のイメージが強いのですが、こういう詩も書かれていたのですね。
「あることと ないことが まぶしいように ぴったりだ」なんてもう、唸るしかない表現です。
著者である永山さんはこの詩に続いて
りんごに限らず、何かを見て描くときのものの感じ方、捉え方、対峙の仕方が、この短い言葉の中に凝縮されている。
「リンゴの/ この 大きさは/この リンゴだけで/いっぱいだ」
りんごの輪郭の中はもうみっちりりんごで、輪郭はそのことを表している。
そして「あることと/ないことが/まびしいように/ぴったりだ」
この詩を読んだとき、言葉でまさにりんごをデッサンしているような気がした。りんごの中からがぐっと果肉が張り出して皮を押していて、外側からは空気が押し返している。
りんご=赤い、丸いと思い込まないで、りんごなんて簡単とばかにしないで、しっかり向き合い、丁寧に観察して、納得いくまで描くことが大事。実はりんごを描くことはとても難しい。
最後の文章は、絵を描く人向けのアドバイスなので、そういうものなんだろうな、と頭で理解しただけですが、中ほどの「この詩を読んだとき、言葉でまさにりんごをデッサンしているような気がした。」という一文は、私自身もまったく同じように「感じ」ました。
「言葉でデッサン、言葉でデッサン」と頭の中でリフレイン。
第七章の「世界とつながるために」のハイライトの中から抜粋引用します。
◎私達は、あらゆるものをボーッと見ていて、その中からほんの少し、自分が見たいものだけを見たいように見ているだけ。
◎知らないものを何か一つ描くたびに、「描いたことでこの世とつながった、あなたを知っています。自分なりに」という気持ちになる。
上はまったくその通りだと思います。
下は、「描く」を「書く」に変えても通用するかもしれませんね。
とはいえ、実は常々、音楽や絵画(彫刻なども)は「芸術」と呼べるが、詩や短歌、小説など言葉を用いたものは芸術の範疇に入るのか、と訝っていました。
右脳、左脳を持ち出す気はありませんが、言葉を用いる以上、純粋な感性は殺がれてしまうような気がして・・・
こういうことを考え始めると、長くなりそうなので・・・今日はこのへんで。