ちのっぷすの読書覚書

『!』と思った文章や琴線に触れた言葉のメモ集

アルツハイマー病になった母が見た世界

2ヶ月半ぶり!!

ここひと月ほど、ようやくぼちぼち読書できる環境に戻りつつあったのですが、覚書にアップするとなると・・・二の足を踏んでいました。

ですが、そうも言っていられません。

以下の本は、私にとって、いろんな意味で、絶対に、感想を書き記しておくべき本、なのです。

大袈裟だけれど、生涯の宿題になるのかもしれません。

タイトルや表紙からわかるように、

この本は、認知症を専門とする精神科医であられる著者の斎藤正彦先生が、アルツハイマー病になられたお母様のことを、その日記の変遷から分析された本です。

お母様と同居し、主たる介護者であった妹さんはじめ、弟さん、そのお嫁さんとのメールの遣り取りなども収められていて、家族介護のリアルな実態が目に浮かびます。

まずは「あとがき」から引用させて頂きます。

「まえがき」に、この本を書く二つの目的を挙げました。一つは、認知症の患者は物忘れなど認知機能の低下を理解できないという精神医学の迷信を破ること、もう一つは(後略)

とあります。もう一つについても大変興味深いことなのですが、そちらも一緒に取り上げると途轍もなく長くなりそうなので、ここでは主に一番目の目的について書かれた箇所を取り上げたいと思います。

とはいえ、著者は、文学に造詣が深かったお母様の血を引いていらっしゃるからか、修辞が秀逸なので、二つ目に関係することではありますが、先にその部分も載せさせていただきますね。(「まえがき」からの引用です)

(前略)母が自ら語ったライフストーリーを縦糸に、母が遺した日記に記された日常の出来事や、老い行く母の周辺で右往左往する私たち家族のリアルタイムな思いを横糸として、改めて一枚のタペストリーに織り直してみれば、そこに現れる物語は、母の個人的な記録であると同時に、母が生きた時代を生き生きと描き出す絵巻物のようでもありました。(後略)

さて、私がこの本を取り上げた一番の理由は・・・

お母様が、そう遠くない将来の自分の姿と重なったからです。

大正時代のお生まれで東京女子大に進学されたほどの才媛でいらっしゃり、聖書や古典文学、語学、短歌など多芸多才であられたお母様と、自分の姿を重ねるなど、おこがましいこと甚だしいのですが、それでもある種の親近感を禁じ得なかったのです。

お母様は若い頃から日記をつけておられましたが、この本で取り上げられているのは67歳(物忘れなど老いの自覚と、将来への漠然とした不安を書き始めた頃)からの日記になります。(p21)

 夫の死後得たる仕事を励みとし若く見ゆると言はれて暮らす

こうした活発な生活を続けながらも、母はこの時期以降、老いを自覚し始めたことが、次のように日記に現れます。「帰途コピーしてきたが、例の通り、コピー屋に荷物を忘れてまた取りに行く」

そう考えると、私の物忘れの自覚は、お母様より15年以上早いので、ちょっと空恐ろしい気もします。

私の話を少し。

次女が小6の頃ですから、もう20年近くも前、クラス全員でドッヂボールの試合に参加するため、アクシオン福岡に行った時のことです。

試合観戦が終わり、メインの体育館から、自分たちの控室のようなところに戻ろうとした際、方向が全く分からなくなってしまい、ウロウロ・・・

出口が何か所かありますから、全く違ったところから出てしまったのがそもそもの間違いだったのでしょうが、それでも普通の人なら、元の場所に戻ることは容易だと思います。

いくら初めての場所で、かなり広い会場とはいえ、40代の人間が迷うような場所ではないはず。

そうは思いつつも「元々かなりの方向オンチだから」と自分を納得させていました。

お母様の日記に似たようなくだりを見つけ、言い知れぬ不安が広がったことをここに白状しないといけません。

78歳時の日記と著者の解説文の引用です。(p63)

(前略)しばしば、失敗のエピソードを記した後に母なりのコメントが記されています。(略)「全くこの頃は忘れがひどくて自分乍ら心配」(略)「本当にぼんやりで嫌になってしまうが、この手の失敗は若いころからで、今更ではない」(略)

「今、ここにあったものがもうわからなくなってしまう。まさしくボケだが、私は若いころから忘れ物、失くし物、勘違いの名人だから、この先どうなることかと心細い」(略)

おっちょこちょいでなくし物が多いのは、若い頃からの性癖だと考えてむりやり納得しようとしても、認知症がはじまったのではないかという抑えきれない不安がにじんでいます。

それから自身の事でもう一つ。

アクシオンの件とどちらが先だったか微妙ですが、娘(長女の時ならほぼ同時期?)の英語の教科書(中2用だったと思う)に「主人公の少女がアメリカに住む叔母に会いに行き、一緒にショッピングモールに出かけたときの話」が載っていました。

モールで買物をした帰り、叔母は車を止めた場所がわからなくなり、探し回ります。

確か、とめていた階を間違えたためということがわかって無事に車を見つけたというオチだったような・・・

この時、「いくらアメリカのモールが広いからと言って、そんなことってある?叔母さんってまだ40歳前後でしょ、ありえな~~い。」と思ったんですよね。

でもそれから僅か数年後、私自身が同じ体験をします。

できたばかりの木の葉モールでだったと、そこはしっかりと覚えていますが(あまりにもショックで)車を止めた場所が全く分からなくなっており、帰るに帰れなくなってしまったのです。

階も入口との位置関係も一切覚えておらず、愕然。

インフォメーションセンターに駆け込んで、車種とナンバーを伝えて一緒に探してもらうという大失態。

この後も木の葉モールだけでなく、イオンモールでもゆめタウンでも同様の失敗をしています。(さすがに人様に迷惑はかけていませんが)

ちゃんと何階の何番と数字を記憶してとめたときは大丈夫なのですが、無意識に降りてそのまま建物に入ってしまうと・・・ウロウロ探すハメに・・・

高齢化社会ですから、私のような人間は少なくないのでしょう。

「駐車場所を忘れないように」といった注意のアナウンスが始終流れていますが、これも無意識に聞き流していますものね、処置なし、です。

このほかにも、自販機でお釣りを取り忘れるのはまだいいとして、スーパーに財布を忘れたり、レストランにスマホを忘れたり(いずれも無事戻りましたが)クレジットカードを失くしたり(手続きをしたこと数回)・・・枚挙にいとまがありません。

逸れましたね、戻ります。

「年のせい?」と自問しながら、そうではない不気味な変化が自分の脳の中で起こっていることを感じて、怯えている母の心が伝わってくるような気がします。

お母様の最初の兆候は67歳、その後も10年程は「年のせい?」といった漠然とした不安でやり過ごしておられますが、80代以降は明らかに認知症の症状が顕著になっていかれます。

本書の「母の日記と生活」という章のタイトルの中に

第三期 八〇~八四歳ーー老いに翻弄される日々、崩れていく自我の恐怖

とありましたが、崩れていく自我の恐怖、私も「自分が自分でなくなっていく」ことが何より怖いと思っています。

正式な診断を受けたのは84歳の時だそうですが、これは著者自身が認知症の専門家であったがゆえという事情もあるようです。

お母様の経過を私に当てはめると、本当に怖いものがあります。

本の感想を書く時、取り掛かるまでには時間がかかっても、一旦書き始めるとすぐに書きあがることが多いのに、この本だけは、なかなか筆が進まなかったのは・・・他人事のように思えない怖さがあったから。

以下はお母様自身の84歳時の日記です。

二月一三日 心を使っているつもりなのになかなか自分の中が整理できない。もう少しさっぱりとすがすがしく生きたいものと思うが、なんとなくがさがさ暮らしている。少し落ち着いてきたので読書も思考も進めてゆきたいと努めてみる。

この気持ちが痛いほどわかって、切なくて、胸が苦しくなりました。

この年の7月、お母様は著者の自宅にほど近い老人ホームに入居されます。

(前略)前後の記載から八月上旬の記載だと思われるページに、次のようなメモがあります。

 「世田谷区桜新町」「老人ホームに常住する」

「常住する」というのは奇妙な言葉です。たぶん、自分がどこにいるのかわからず、職員に住所を聞いて書き留めたのでしょう。私たちは、何度も繰り返し、ここはどこなのか、お金を払わないで食事をしていいのか、と同じ質問をされて辟易していました。(略)この文の下には波線が二本、直線が一本ひかれています。私のいらだった叱声にびくびくし、忘れないように自分の記憶に叩き込もうとしていたのでしょうか。(後略)

お母様の不安も、専門家と言えど、息子としての著者の苛立ち、どちらも手に取るようにわかります。

うまくまとめあげることができませんでしたが、返却期限がきているので、これから返しに行きます。

このままアップしますね。

もう少し簡潔にまとめられたらアマゾンレビューも書いてみたいと思っています。