「感嘆符!」再び~鶴見俊輔さんについて
読書覚書をリニューアルするにあたって、旧読書覚書と読書三昧を手動で(ってコピペするだけですが)せっせとこちらにお引越ししています。
ですから2年前に読んだ本があたかも今日読んだ如くに記してありますが、そんな中、今回の本はわりと最近読んだ本です。
で、そのことと関連して、タイムリーに、まさに今日!
朝日新聞一面の『折々のことば』に「おっ!」と思う文章が載っていました。
話すごとに、「面白いな!」「すごいね!」「いや、驚いた!」と、目を見張って、心底からびっくりしたような反応を示す人でした
その言葉の主が「鶴見太郎」とあったのを見て、瞬時に鶴見俊輔さんの息子さんに違いないと確信。
『折々のことば』の鷲田清一さんによると
日本近現代史研究者は幼い頃、父・鶴見俊輔に何か話すと決まってこんな反応があったという、長じて世間の大人たちが何ごとにも無反応なのを知り、逆に衝撃を受けたと。(中略)
黒川創『鶴見俊輔伝』から。
出典元の著者・黒川創さんについて、実は何も存じ上げないのですが、アマゾンで見つかりましたので、貼り付けておきます。近いうち読むつもりです。
さて、以下の文章は読書三昧からそのままコピー。これは実際に自分が読んだ本のことなので、今日の本のタイトルはこちら《最後の読書》になっています。( 奇しくも上記の本と発売日が全く同じですね!)
今日紹介する本は、たまたま二丈図書館の《新刊本コーナー》で見つけ、タイトルに惹かれて借りたものです。著者の名前にも覚えはないのですが、年配の方であるには違いありませんよね。
帰宅してぱらぱらっとめくってみました。うん、借りて損はなかった本だ、と確信。
じっくり腰を据えて読もう。(でもいつ?今でしょ!)
本文の最初のページが故鶴見俊輔氏の「もうろく帖」のこと。もうろく(耄碌)ってコトバ、久し振りに目にしたような気がします。痴呆が認知症と呼び変えられて以降、ボケやもうろくもおおっぴらには口にされにくくなったのかもしれませんね。
「もうろく帖」については書店やアマゾンでの取り扱いはないため、SUREという小さな出版社に直接注文しないといけないようです。
近いうちに取り寄せて読んでみようと思っています。
というのも一時期、鶴見さんの本をよく読んでいたから。随分と感化されはずなのに、悲しいかな、まるっきり覚えていない・・・。
これって津野氏の言うところの《落ち目の読書人》?!
まだ全体の4分の1しか読んでいませんが(私にしてはかなり遅いペースですが、一気に読むのがなんだか勿体ないような気がして・・・)最後まで読むのが楽しみです。