ちのっぷすの読書覚書

『!』と思った文章や琴線に触れた言葉のメモ集

第三のチンパンジー

第三のチンパンジー=人間

見出しの通り、タイトルの「第三のチンパンジー」とはヒト科ヒト属ヒト、つまり人間のこと。(ちなみにチンパンジーもヒト科です)

サブタイトルは《人間という動物の進化と未来》とあります。

著者ジャレド・ダイヤモンドは「1945年、広島と長崎に原子爆弾が落とされたとき、7歳だった」とありますから、現在80代前半。

《若い読者のために》とあるのも、自分が見ることのできない未来を創るのは若い人だ、との思いもあるのでしょう。

4年程前にも一度読んだような気もしますが、読んだのは同じ著者による『人間はどこまでチンパンジーか』の方だったかもしれません。(あるいはどっちも読んだかも。前者は武雄、後者は伊万里図書館で)

どっちにしろ、今回の本も先に出版された本がベースになっているので、その言わんとするところはほぼ同じでしょう。

30年近く前(本国での出版は1991年)に書かれているので、内容的には相当の改定が必要だったと思います。

はじめにでー

私たちはわずか数万年のうちで、人間の持つユニークで危なっかしい性質をはっきり示しはじめていたのだ。言語や芸術、人間のライフサイクルに始まり、みずからの種やほかの種を絶滅に追いやる人間の能力ーこうした善悪両面におよぶ特徴を人間は、なぜ、どうやって発達させてきたのだろう。

と疑問を投げかけ、この本でこれらの点についてつぶさに検討したと宣言。

続く本文はー

いつ、なぜ、どのようにして人間は「ありふれた大型哺乳類」であることをやめたのだろう。

で始まっています。今読み返してもドキドキ・ワクワク♡♡♡

DNA解析が進んだ今、チンパンジー(とボノボ)がヒトに最も近い種(松沢哲郎先生の言う「進化の隣人」ですね)であることは良く知られるようになってきましたが、これは

見方を変えれば、チンパンジーにとって、彼らにもっとも近縁の種はゴリラなどではなく、遺伝的には私たち人間なのである。

ということになるのですね。俄かには信じがたい気がしますが、ゴリラの祖先がチンパンジーヒト(の祖先)と分かれたのが約1000万年前、チンパンジーヒトはというと700万年前だそうですから・・・。

だからこそ、チンパンジー(やボノボ)の研究が人間とは何か?」に繋がるわけですが、ここで私が個人的に不思議だなと思うことがあります。(この本では触れられていませんが)

ボノボヒト科・チンパンジー属。昔ピグミーチンパンジーと呼ばれていたことを覚えています。やや小型のチンパンジーといった印象でした。種は違えど、チンパンジーの仲間といっていいのでしょうね。トラとライオン(ネコ科ヒョウ属)のように交配も可能だと思います。

で、何が言いたいかと言うと、チンパンジーボノボはこれほど近いのに、その性質が違い過ぎるのではないか、と。

ヒトチンパンジー同種で殺し合いをするがボノボはしない。

なぜ???

つくづく、どうしてヒトはボノボに似なかったのかなぁと残念に思います。

前にも書きましたが、ヒトにはチンパンジー的な人と、ボノボ的な人の2種類あるのかも?

チンパンジーとボノボの《この差》を究めれば、ヒトがなぜ殺戮するのか、何かヒントが見つかりそうだと思うのですが・・・。(自分で調べるには頭脳とお金が足りませんし、時間も足りなさそうです。)

随分と逸れましたが、実は「引用文は多くてもは地の文の3割以下」が暗黙のルールなので、沢山引用したいと思えば、それだけ沢山の文章を書かねばならないのです。

―ということで、再び話を戻してー

大型哺乳類の一種に過ぎなかったヒトが、独特の存在感を示すヒトとして活動を始めた以後、いきなり1万年前のことに飛んで、農業についてーその否定的な影響を3つ述べています。

ひとつは、狩猟採集民はタンパク質とビタミン、ミネラルに富んだ多彩な物を食べていたが、農民はおもにデンプン質の作物ばかり食べていたということ。

それによってふたつめー僅かな種類の作物に依存してしまうと、農民は栄養失調に陥るばかりか、ひとたび凶作になったら、餓死の危険すらあるということ。

最後に、現在でも猛威をふるっている伝染病や寄生虫は、農業に移行するまでは確たる勢いを持っていなかった。(中略)結核やハンセン病、コレラの発生は農村が勃興してからのことで、天然痘、腺ペスト、麻疹は、都市に人が集中して人口密度が高まった僅か数千年前になってから出現するようになったのである。

一般に、農業が始まって人間の暮らしはより良いものに変わっていったと思われていますが、決してそうではない、ということなのですね。

特にこの新型コロナ禍は、まさしく!ですよね。(かといって今更、狩猟採集生活には戻れませんが。)

二十四時間が表示できる時計を想像してみてほしい。この時計が示す一時間はそれぞれ10万年の時を表している。午前0時に人類の歴史が始まったとすれば、いま私たちは一日目の終わりを間もなく迎えようとしている。真夜中から夜明けまで、正午から日暮れまで、私たちは終日のほとんどを狩猟採集民として生きてきた。そして午前十一時五十四分、私たちはついに農業を採用した。もう後戻りすることはできないのである。二度目の午前0時をまさに迎えようというときになって、農業が持つ呪わしい面に制限をかけ、祝福にあふれた農業の恵みを実現する方法を私たちは見つけ出すことができるだろうか。

ジャレドの説は、ジェノサイドや地球生態系への危惧についての考察もあるのですが、上記引用のような例えはもの凄く好きなので、彼についてはこれで締めくくりたいと思います。

本文はもちろん、長谷川眞理子先生(先の本の翻訳者でもある)の解説もとても分かりやすかったので引用します。

人間は、生物界の中では、本当にユニークな存在であり、地球生態系に大規模な影響を与える重要な存在です。なぜ人間はそんなことができたのか、それを可能にした人間の性質はどのようにして進化してきたのか、本書はそれについて一つ一つ検討していきます。しかし、一番重要なのは過去の話ではなく、その過去の経緯を知り、現状を知ることによって、それらの事実が人間という生物の将来をどう導いていくか、人間は将来どうなるか、ということへの考察でしょう。

 『人間を究める』の中ではお名前くらいしか紹介しなかった長谷川先生ですが、逆にそれくらい私にとっては馴染み深い先生です。

自分で研究することはできなくても、こういう先生方の研究や、それをわかりやすく説明してある本を読むことで、ワクワクするような時代に生きているんだなと実感できます。

もちろん良い面ばかりではないけれど、というより昨今は悪い面ばかり目につきますが、でも確実に、人類「何か」を掴みかけている。

その先に広がるのはー

新たな地平、新たな局面?-なんにせよ、面白い時代が始まる予感。