ちのっぷすの読書覚書

『!』と思った文章や琴線に触れた言葉のメモ集

白い帽子~車のいろは空のいろ

出会いは国語の教科書その2

先日の続きです。

好きなお話ナンバー1『スーホの白い馬』の次は『ごんぎつね』なんですが・・・

飛ばしてナンバー3『白いぼうし』について

白いぼうしあまんきみこ「車のいろは空のいろ」シリーズのひとつ。

3年か4年の時に習ったと書いていましたね。

なぜ3年か4年か、ハッキリ覚えていないけれど、そのどちらかだとは断言できるかといえば、大大大ッキライだったマツタケリョウイチ先生が担任の時だったから。(当時は―今もかもしれないが、2年間持ち上がり。彼についてはいつかどこかで吐き出そうと思いますが、ここでは止めておきます)

センセイが教科書の一文をさしてシグナルが変わると』のシグナルって何かわかる人?」と質問し、それに対して、おとなしいノリコちゃんが珍しくさっと手を上げ「信号のことです」と答えたのが、とても印象に残っているのです。

印象に残ったということは、私はこの時「シグナル」の意味を知らなかったのでしょうね。文脈から信号であることはわかりますが、シグナルという単語は新鮮でした。

ところが、いまは教科書でも、単行本でも「シグナル」は用いられておらずすべて「信号」になっています。

なぜなんでしょう?シグナルは一般的ではないから?初版ではどうなっていたのでしょう?いつから言い換えられたのでしょう?

私の記憶違いということもありえますが、状況・場面が焼き付いていますから、まちがいなく「シグナル」と書かれていたと思うのですが・・・

どなたか経緯を知っておられる方いらっしゃいませんか~~?

それはともかく、ホントにいいお話です。思い浮かべただけでも夏みかんの匂いが漂ってきそうです。あまんきみこさんのお話はどれも読後の余韻が・・・とてもいい。

半世紀以上前に書かれたお話ですが、いまだに読み継がれている名作で、版を重ねているのでしょう。単行本でも文庫本でも出版されています。 

 あまんきみこさんについてはまた別の機会にあらためて・・・。

ところで、ベスト3を惜しくも逃したのは・・・

1年か2年の時の『ちびくろサンボ』です。これは確か人種差別の問題と絡んで出版差し止めになり、教科書からも消えたと思うのですが、今調べてみたところ、日本では1988年に絶版。その後1999年に原作そのものの日本語版が出版されたとのこと。

知りませんでした。読んでみたいな。

原作そのものの、としたのは、著作権の混乱により海賊版の方が広く普及していたから。この辺りの事情はウィキペディアに詳しいので気になる方はそちらもどうぞ。

そういえば、アフリカ(のように思ってた)なのにトラはおかしいですよね。

でもトラが何頭もぐるぐるぐるぐる回って、とうとう溶けてバタになって・・・ サンボが食べるホットケーキにたっぷりとろ~り・・・「おいしそう!食べたぁい」と思ったことを昨日のように(ウソです)思い出します。

夏みかんといい、ホットケーキやバターといい、良い絵本は五感も刺激するもののようですね。

ところで、ここでもまた1年か2年の時、とはっきりしないのは、担任の先生が大大大好きな最所先生の時だったから。

小学校最初の先生が最所(サイショ)先生だ!」ってそりゃもうテンション上がりまくりだったのを覚えています。母と同年齢(32歳)だったとそんなことまで記憶しているくらい、ずーっと大好きな先生でした。

先生が好きなら授業も楽しい、勉強も面白い、学校は天国!

それが2年後、3年時の担任によって奈落の底へー。

事程左様に《担任》の影響は大きいのです。まして小学校の間は担任が全て、ですもんね。(それにしても半世紀以上経っても「先生を選べない」のは変わっていない)

話逸れまくりですが、その昔父から「教員なら男女同一賃金だから」と教師になることを勧められたことがありましたが「子供の一生を左右しかねない」から嫌でした。

そういいながらも、一時期ほんの短い期間だけ、教師をしていたこともあったっけ。(担任が全ての小学校ではなかったけれど)

社会的な経験値は低いままの私ですが、それでもそれなりに色々なことがあって、今の私に繋がっているのでしょう。

さあて、今後はどうなるのかなぁ?